1998年長野パラリンピック
VII Paralympic Winter Games
開催都市 日本 長野市
参加国・地域数32
参加人数571
競技種目数5競技34種目
開会式1998年3月5日
閉会式1998年3月14日
開会宣言皇太子徳仁親王
選手宣誓四戸竜英
審判宣誓鷹野隆
最終聖火ランナー丸山直也
主競技場エムウェーブ
冬季« 1994年リレハンメル2002年ソルトレイクシティ »
夏季« 1996年アトランタ2000年シドニー »
Portal:オリンピック
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1998年長野パラリンピック(1998ねんながのパラリンピック)は、1998年3月5日から3月14日に行われた第7回冬季パラリンピック。1998年長野オリンピックの後に長野県長野市を主会場として開催され、冬季パラリンピックではアジア初の開催となった。 今大会では知的障害者が初めてノルディックスキー距離競技に参加を認められた。しかし次期の夏季大会(シドニー)においてスペインが知的障害者のバスケットボールチームに健常の選手を潜り込ませて金メダルをさらったことが露見した。銀メダルのロシアチームにも不正が認められたため、以後は障害者のスポーツ祭典であるパラリンピックから知的障害者は再び排除されてしまうこととなった。また聴覚障害者、精神障害者についてもパラリンピックの埒外におかれたままになっている。 大会を運営したのは、財団法人長野パラリンピック冬季競技大会組織委員会(通称:NAPOC)である。
概要
実施競技
スキー
アルペンスキー
ノルディックスキー
バイアスロン
クロスカントリースキー
アイススレッジホッケー
アイススレッジスピードレース
「旅立ちの時?Asian Dream Song?」 1996年に行われたアトランタパラリンピックでは、日本のメディアの扱いが小さかった。しかし、長野パラリンピックは、メディアが積極的に報道したパラリンピックだった。競技の様子は、新聞では社会面などではなくスポーツ面報道でされるようになり、NHKは閉会式も生放送で放送した。そして、長野パラリンピック以降ではパラリンピックが積極的に報道されるようになった。 また、オリンピック選手団並びにパラリンピック選手団が着用する日本選手団の公式ユニフォームが統一デザインとなったのは、1998年の長野オリンピック及び長野パラリンピックからである。 尚、アイススレッジスピードレースは、長野大会を最後にパラリンピックから除外された。 長野パラリンピック 獲得メダル数
歌:宮沢和史 with 久石譲
作詞:ドリアン助川
作曲・編曲:久石譲
久石は大会総合プロデューサーも担当している。長野パラリンピック閉会後は、主に合唱曲として卒業式・離任式などの定番曲となっている[1]。
日本における社会的影響
競技会場
開・閉会式、アイススレッジスピードレース:エムウェーブ
アイススレッジホッケー:アクアウイング
バイアスロン:バイアスロン会場(ふれ愛の森公園、野沢温泉村)
クロスカントリースキー:スノーハープ(白馬村)
アルペンスキー(滑降、スーパー大回転、大回転、回転):志賀高原
各国のメダル獲得数順位
順位NPC Name金銀銅合計
1 ノルウェー1891340
2 ドイツ14171344
3 アメリカ合衆国1381334
4 日本12161341
5 ロシア1210931
6 スイス105823