1998年のイギリスツーリングカー選手権
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1998年のイギリスツーリングカー選手権
前年:1997翌年:1999
ボルボリカルド・リデルがタイトルを獲得した。

1998年のオートトレーダー・RAC イギリスツーリングカー選手権 (1998 Auto Trader RAC British Touring Car Championship) は、イギリスツーリングカー選手権の41年目のシーズン。ボルボ・S40リカルド・リデルがタイトルを獲得した。日産・プリメーラアンソニー・レイドが2位。プライベーター対象のオートスポーツ・カップはルノー・ラグナトミー・ラスタットが獲得した。
シーズン概要

1998年シーズンが始まる前に、3つの大きなルール変更があった。週末のレースは2つの異なるタイプのレースが行われる。「スプリント」レースと、より長い「フィーチャー」レースである。後者では2度のタイヤ交換のためのピットストップが義務付けられている。スプリントレースの予選では、ドライバーが「シュートアウト」スタイルのセッションを行い、各ドライバーが1回ずつ出走し、スターティンググリッドを決定するために1回のタイムラップが与えられた。フィーチャーレースの予選は前シーズンと同じであった。

四輪駆動システムも1998年に禁止された。これは、1996年のチャンピオンであるアウディが使用したシステムであった。アウディは1998年シーズンもA4を使い続けた。
チームおよびドライバーの変更I think last year on some tracks we were not the quickest car but we ended up winning the championship because we made less mistakes than the other guys. So hopefully this year will be the same.
(昨年は最速のクルマではなかったトラックもあったと思いますが、ミスが少なかったので優勝しました。ですから、今年も同じになることを願っています。)アラン・メニュ

1997年のチャンピオンであるルノーは、ウィリアムズがチームの運営を始めて4 年目のシーズンとなる。引き続きアラン・メニュジェイソン・プラトがラグナをドライブした。新しくネスカフェブレンド37をスポンサーに迎えた事により、親しまれたイエローとブルーのカラーリングからダーク・グリーンに変更となった。最終戦のシルバーストーンのみ3台目を導入し、ラグナでインディペンデントタイトルを獲得したトミー・ラスタットもチームに加わった。

アウディは4輪駆動が禁止された事で、前輪駆動のA4に変更を余儀なくされた。アウディで 3シーズン目を迎えているジョン・ビントクリフに1995年のフランスツーリングカーチャンピオンで昨年はドイツ・スーパーツーリング選手権 (STWカップ) にアウディから参戦していたイヴァン・ミュラーが加わり、入れ代わりでフランク・ビエラはSTWカップに戻っていった。

プロドライブが運営するホンダは冬の間充実したテストを行い、ジェームス・トンプソンを残留させる事を決めた。チームメイトは元BMWドライバーのピーター・コックスが選ばれ、1994年のチャンピオンであるガブリエル・タルキーニはフランク・ビエラと同じくSTWカップに参戦する事になった。

トム・ウォーキンショー・レーシング (TWR)が運営するボルボはリカルド・リデルを引き続き残留させて、5シーズン目を戦う。リデルのチームメイトだったケルヴィン・バート全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) に参戦する事になり、F1のフェラーリ、フットワーク、サウバーに在籍し、イタリア・スーパーツーリング選手権に参戦していたジャンニ・モルビデリをチームに迎えた。リデルは日産のアンソニー・レイドとのタイトル争いに競り勝ち、悲願のドライバータイトルを獲得した。

プジョーチームの運営は、同年もモーター・スポーツ ・デベロップメント (MSD) が担当。1992年のチャンピオンであるティム・ハーベイは残留したが、BTCCに長年参戦経験を持ち、1994年からプジョーのワークスドライバーだったパトリック・ワッツはシリーズを離れてしまう。彼の後任にはフォードチームで活躍し、世界ツーリングカーカップで2度優勝したポール・ラディシッチを迎えた。実力ある布陣で臨んだが、年間通してプジョーは苦戦。同年限りで撤退を決める。BTCCでは遂に本領を発揮することが出来なかったプジョーだが、STWカップではチャンピオン争いに毎年加わるなど好成績を残している。デレック・ワーウィックのベクトラ。

トリプルエイトが設計・運営するボクスホールは、デレック・ワーウィックと1995年のチャンピオンであるジョン・クレランドが続投。ベクトラでレースを続けた。1997年のエアロパーツは空力性能に問題があり、かなり苦戦したことからトリプルエイトは1998年のエアロを自社で開発。結果は改善されて2人合わせて3勝をマークしている。

日産は引き続き、RMLの運営で、デイビッド・レズリーアンソニー・レイドのコンビでの参戦となったが、終盤のブランズ・ハッチでは1994年までキース・オドールジェームス・ウィーバーらと共にヤンスピードのプリメーラをドライブしていた経験を持ち、テレビ番組のコメンテーターとしても活躍していた、ティフ・ニーデルが3台目をドライブした。この年の日産は9勝を挙げ、ドライバータイトルこそ逃したものの、最終戦を待たずにチームと製造者部門のチャンピオンを獲得した。

ウェストサリー・レーシング運営のフォードは1991年チャンピオンのウィル・ホイをエースドライバーとして残留させ、長年エースドライバーだったポール・ラディシッチの後任には、南アフリカやニュージーランド、オーストラリアなどのツーリングカーレースでBMWのドライバーとして活躍していたクレイグ・ベアードを起用。更に1992年のF1チャンピオンのナイジェル・マンセルもベアードと交代する形で3大会に出場した。ウィル・ホイは次々に優勝候補がリタイアに追い込まれるサバイバルレースとなった第4戦シルバーストーンを制し、フォードチームに2年振りの優勝をもたらした。

その他では、アルファロメオが1995年以来の参戦を検討し、ニコラ・ラリーニファブリツィオ・ジョヴァナルディの起用を決めていたが、予算の問題により、この年の参戦は実現しなかった。
参加チームおよびドライバーボルボはマニファクチャラーズ・ランキングで2位となった。

チーム車両No.ドライバー出場ラウンド
マニファクチャラー
ブレンド 37 ウィリアムズ・ルノールノー・ラグナ1 アラン・メニュ全戦
3 ジェイソン・プラト全戦
21 トミー・ラスタット13
ボルボ・S40 レーシングボルボ・S404 リカルド・リデル全戦
14 ジャンニ・モルビデリ全戦
チーム・ホンダ・スポーツホンダ・アコード5 ジェームス・トンプソン全戦
50 ピーター・コックス全戦
アウディスポーツ UKアウディ・A47 ジョン・ビントクリフ全戦


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