1996年の映画
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7月23日 - ホテルオークラ東京で徳間書店・スタジオジブリとウォルト・ディズニー・カンパニーの提携記者会見が行われ、宮崎駿監督、徳間康快(徳間書店代表取締役社長)らが出席[4]。
8月
8月4日 - 喜劇俳優・渥美清死去[1]。国民栄誉賞、銀杯追贈[1]。
8月13日 - 俳優・渥美清を偲んで「寅さんのお別れの会」が松竹大船撮影所で開かれ、山田洋次が弔辞を読んだ[要出典]。
8月16日 - 女優・沢村貞子死去[1]。
9月
9月18日 - 全興連、1997年の映画サービスデーを12月1日のみとし、3・6・9月の各1日の実施は中止を決定[1]。
9月23日 - 漫画家・藤子・F・不二雄死去[1]。
9月27日 - にっかつ、ナムコによる会社更生計画案を東京地裁が認可[1]。子会社7社を合併し存続、商号を「日活」に戻し本店も変更[1]。15年での再建計画が本格始動[1]。
10月
10月1日 - パーフェクTV、本放送を開始、デジタル多チャンネル時代の幕開け[1]。
10月4日
東京アイマックス・シアター、新宿駅南口高島屋タイムズスクエアに開場[1]。
映画監督小林正樹死去[1]。
10月22日 - 東京宝塚ビル再開発計画が発表される、総工費220億円、工期は3年[1]。
10月23日 - 東京都興行生活衛生同業組合(都興組)、映画サービスデーを1997年より元旦、12月1日および2月から11月までの毎月第1水曜日に決定[2]。
11月
11月1日 - 東宝映像事業部、黒澤明監督23作品ビデオを一斉に再リリース[1]。
11月1日-12月1日 - 第1回神戸100年映画祭が開催される[要出典]。
11月2日 - 英大手興行会社ユナイテッド・シネマ・インターナショナル(UCI)日本進出第1号、滋賀県・OTSU7シネマ(UC)開場[2]。
11月7日 - 新生の日活、映画製作第1弾『愛する』(熊井啓監督)製作発表[2]。1997年10月4日に公開された[2]。
12月
12月7日 - 『インデペンデンス・デイ』(ローランド・エメリッヒ監督)公開、当時の国内洋画配収歴代第3位となる大ヒット[2]。
12月11日 - 外国映画輸入配給協会(外配協)主催、第1回「トーキョー・シネマ・ショー」開催[2]。
日本の映画興行
入場料金(大人)
1,800円[5]
映画館・映画別
1,800円(松竹、正月映画『男はつらいよ 寅次郎紅の花』)[6]
1,800円(統計局『小売物価統計調査(動向編) 調査結果』[7] 銘柄符号 9341「映画観覧料」)[8]
入場者数 1億1958万人[9] - 1994年の年間入場者数(1億2299万人)を下回る戦後最低記録となった[10]。
興行収入 1488億7000万円[9]
配給会社別年間配給収入配給会社配給本数年間配給収入概要
前年対比
松竹2048億2910万円松竹の1996年最高稼動番組は『男はつらいよ 寅次郎紅の花』/『サラリーマン専科』(11.6億円)。『学校II』(6億円)や『釣りバカ日誌8』(5億円)も手堅く稼いだ。
117.4%
東宝18106億7251万円12年連続の年間配給収入100億円突破。『ゴジラvsデストロイア』(20億円)、『Shall we ダンス?』(16億円)、『ドラえもん のび太と銀河超特急』(16億円)、『学校の怪談2』(16億円)、『スーパーの女』(15億円)が10億円の大台を突破した。
93.8%
東映2147億4639万円配給収入10億円以上の番組がなかった。アニメ番組も伸び悩み、前売り大量動員映画の『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』も6億円止まりだった。
74.1%
出典: 「1996年日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『キネマ旬報』1997年(平成9年)2月下旬号、キネマ旬報社、1997年、155 - 157頁。
各国ランキング
日本配給収入ランキング1996年邦画配給収入トップ10順位題名配給配給収入
1ゴジラvsデストロイア東宝20.0億円
2Shall we ダンス?東宝16.0億円
2ドラえもん のび太と銀河超特急
ドラミ&ドラえもんズ ロボット学校七不思議!?東宝16.0億円
2学校の怪談2東宝16.0億円
5スーパーの女東宝15.0億円
6男はつらいよ 寅次郎紅の花
サラリーマン専科松竹11.6億円
7ガメラ2 レギオン襲来東宝07.0億円
8クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険東宝06.5億円
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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