1996年の映画
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2月13日 - ムービーチャンネル設立[1][3]。
2月20日 - 作曲家・武満徹死去[1]。
3月
3月3日 - 『ドラえもん のび太と銀河超特急』(芝山努監督)の舞台挨拶を神戸市・三宮劇場で実施[1]。阪神・淡路大震災で被災した神戸の子供たちに単行本をプレゼント[1]。
4月
4月1日 - ヘラルド・エースが「エースピクチャーズ」と改称[1]。
4月4日 - 松竹が邦画メジャーとして初のインターネットホームページ(HP)開設[1]。
4月20日 - 米第2位の興行会社AMCエンターテインメントが福岡市にAMCキャナルシティ13開場[1]。5大都市(近郊)に外資系シネコンが進出を開始[1]。
5月
5月8日 - 松竹がシネコン展開を目的とした松竹マルチプレックスシアターズ設立[1]。
5月31日 - フランス映画社、『愛のめぐりあい』(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)に対する映倫のヘア修正要求を不服として、映倫設立以来初の再審査請求[1]。7月12日、映倫、無修正での上映を容認[1]。
6月
6月10日 - 俳優・フランキー堺死去[1]。
6月11日 - 松竹、ニチイの共同出資により、マイカル松竹設立[1]。6月29日、第1号店マイカル松竹シネマズ本牧開場[1]。
7月
7月5日 - 日本ビデオ協会が「日本映像ソフト協会」(JVA)と改称、あわせて新ロゴマーク制定[1]。
7月13日 - 『ミッション:インポッシブル』(ブライアン・デ・パルマ監督)公開、大ヒット[1]。以後シリーズ全作品が好稼動[1]。
7月20日 - 東宝、新興収速報システム本稼動[1]。導入劇場のデータをオンラインで取り込み、「成績週報」の作成が可能になった[1]。
7月23日 - ホテルオークラ東京で徳間書店・スタジオジブリとウォルト・ディズニー・カンパニーの提携記者会見が行われ、宮崎駿監督、徳間康快(徳間書店代表取締役社長)らが出席[4]。
8月
8月4日 - 喜劇俳優・渥美清死去[1]。国民栄誉賞、銀杯追贈[1]。
8月13日 - 俳優・渥美清を偲んで「寅さんのお別れの会」が松竹大船撮影所で開かれ、山田洋次が弔辞を読んだ[要出典]。
8月16日 - 女優・沢村貞子死去[1]。
9月
9月18日 - 全興連、1997年の映画サービスデーを12月1日のみとし、3・6・9月の各1日の実施は中止を決定[1]。
9月23日 - 漫画家・藤子・F・不二雄死去[1]。
9月27日 - にっかつ、ナムコによる会社更生計画案を東京地裁が認可[1]。子会社7社を合併し存続、商号を「日活」に戻し本店も変更[1]。15年での再建計画が本格始動[1]。
10月
10月1日 - パーフェクTV、本放送を開始、デジタル多チャンネル時代の幕開け[1]。
10月4日
東京アイマックス・シアター、新宿駅南口高島屋タイムズスクエアに開場[1]。
映画監督小林正樹死去[1]。
10月22日 - 東京宝塚ビル再開発計画が発表される、総工費220億円、工期は3年[1]。
10月23日 - 東京都興行生活衛生同業組合(都興組)、映画サービスデーを1997年より元旦、12月1日および2月から11月までの毎月第1水曜日に決定[2]。
11月
11月1日 - 東宝映像事業部、黒澤明監督23作品ビデオを一斉に再リリース[1]。
11月1日-12月1日 - 第1回神戸100年映画祭が開催される[要出典]。
11月2日 - 英大手興行会社ユナイテッド・シネマ・インターナショナル(UCI)日本進出第1号、滋賀県・OTSU7シネマ(UC)開場[2]。
11月7日 - 新生の日活、映画製作第1弾『愛する』(熊井啓監督)製作発表[2]。1997年10月4日に公開された[2]。
12月
12月7日 - 『インデペンデンス・デイ』(ローランド・エメリッヒ監督)公開、当時の国内洋画配収歴代第3位となる大ヒット[2]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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