1996年のFIA国際F3000選手権
前年:1995翌年:1997
1996年の国際F3000選手権は、1996年5月11日から10月12日までの全10戦で争われた。このシーズンは、すべてのチームが同じシャーシ、エンジン、タイヤを使用するワンメイク化された最初の国際F3000シーズンだった。RSMマルコから参戦したヨルグ・ミューラー(ドイツ)が王座を獲得した。 同年最多の3勝を挙げ、シーズンを通してミューラーと王座を争ったのはケニー・ブラックだった。最終戦ホッケンハイムの決勝レースでは、両者にタイトルの可能性がある直接バトルとなったが、ホッケンハイムの長い直線でブラックとミューラーが並走した際、ブラックが並びかけたミューラーに対して横に動き、威嚇するような動きをした。2台は次のコーナーの進入で譲らず接触、ミューラーのマシンはブラックのマシンに乗り上げるようにコースアウトしリタイヤとなった。ブラックはそのままレースを続け、最終戦優勝とシーズンタイトルを決定するために走ったが、ミューラーへの危険な走法があったとしてフィニッシュライン上で黒旗が提示された。しかしブラックはそれに従うことを拒否し、トップのままチェッカーを受ける。しかし、結局はブラックに失格裁定が下り最終戦の結果から除外され、チャンピオンはミューラー、ブラックはランキング2位となった[1]。 チームNo.ドライバーラウンド
タイトル争い
ドライバーとチーム
スーパーノヴァ・レーシング1 ケニー・ブラック全戦
2 マルコス・グエロス
マジウィック・インターナショナル
戦開催地日程周数レース距離優勝タイム平均スピードポールポジションファステストラップレース優勝者 順位ドライバーNUR
1 ニュルブルクリンク5月11日434.556=195.908 km1'07:04.885175.227 km/h ケニー・ブラック ケニー・ブラック
ヨルグ・ミューラー ケニー・ブラック
2 ポー市街地5月27日722.760=198.720 km1'28:55.055134.093 km/h トム・クリステンセン トム・クリステンセン ヨルグ・ミューラー
3 エンナ・ペルグーサ6月21日404.950=198.000 km1'03:33.989186.891 km/h マルク・ホーセンス ヨルグ・ミューラー マルク・ホーセンス
4 ホッケンハイムリンク7月27日296.823=197.867 km0'59:58.819197.932 km/h ケニー・ブラック ケニー・ブラック ケニー・ブラック
5 シルバーストン・サーキット8月18日405.072=202.880 km1'09:17.948175.656 km/h ケニー・ブラック トム・クリステンセン ケニー・ブラック
6 スパ・フランコルシャン8月24日226.968=153.296 km0'48:24.693189.991 km/h トム・クリステンセン ヨルグ・ミューラー ヨルグ・ミューラー
7 マニクール9月14日474.250=199.750 km1'10:45.670169.373 km/h マルク・ホーセンス ケニー・ブラック マルク・ホーセンス
8 エストリル9月21日464.360=200.560 km1'14:55.143160.621 km/h ヨルグ・ミューラー リカルド・ゾンタ リカルド・ゾンタ
9 ムジェロ9月28日385.245=199.31 km1'05:44.337181.910 km/h リカルド・ゾンタ リカルド・ゾンタ リカルド・ゾンタ
10 ホッケンハイムリンク10月12日296.823=197.867 km0'59:24.317199.848 km/h ヨルグ・ミューラー ヨルグ・ミューラー クリストフ・タンソー
最終ポイント順位
ドライバーランキング
PAU
PER
HOC
SIL
SPA
MAG
EST
MUG
HOC
Points
1 ヨルグ・ミューラー2122Ret1322Ret52
2 ケニー・ブラック12Ret115233DSQ49
3 マルク・ホーセンスRetRet1Ret162146Ret28
4 リカルド・ゾンタRet3Ret639Ret111127
5 マルコス・グエロス
6 クリストフ・タンソー8Ret346691111118
7 トム・クリステンセン4Ret5234Ret18
8 ローレン・レドン6Ret10RetRet124DSQ847
9 クリスチアーノ・ダ・マッタ945RetRet1057RetRet7
10 オリバー・ティッヒー11DNQ6RetRet8RetRet735
11 クリスチャン・ペスカトリ10RetRet954RetRetRetRet5