1995-1996シーズンのNBA
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1995-1996シーズンのNBA
シカゴ・ブルズ 
期間1995年11月3日-1996年6月16日
TV 放送NBC, TBS
観客動員数17,778,295人
サラリーキャップ2300万ドル
平均サラリー200万ドル
ドラフト
レギュラーシーズン
トップシードシカゴ・ブルズ
MVPマイケル・ジョーダン
スタッツリーダー 
  得点マイケル・ジョーダン
チーム平均得点99.5得点
プレーオフ
.mw-parser-output .monospaced{font-family:monospace,monospace} イースタン  優勝シカゴ・ブルズ
  オーランド・マジック
ファイナル
 チャンピオン シカゴ・ブルズ
ファイナルMVPマイケル・ジョーダン
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1995-1996シーズンのNBAは、NBAの50回目のシーズンである。
シーズン前
ドラフト

ドラフトではジョー・スミスゴールデンステート・ウォリアーズから全体1位指名を受けている。他には、アントニオ・マクダイス(2位)、ジェリー・スタックハウス(3位)、ラシード・ウォーレス(4位)、ケビン・ガーネット(5位)、ブライアント・リーブス(6位)、デイモン・スタウダマイアー(7位)、カート・トーマス(10位)、ゲイリー・トレント(11位)、チェロキー・パークス(12位)、コーリス・ウィリアムソン(13位)、エリック・ウィリアムス(14位)、ブレント・バリー(15位)、アラン・ヘンダーソン(16位)、ボブ・スーラ(17位)、セオ・ラトリフ(18位)、ジェイソン・キャフィー(20位)、マイケル・フィンリー(21位)、トラビス・ベスト(23位)、グレッグ・オスタータグ(28位)、コーリー・アレクサンダー(29位)、アンドリュー・デクラーク(34位)、エリック・スノウ(43位)、タイアス・エドニー(47位)、フレッド・ホイバーグ(52位)、クリス・カー(56位)、ドン・リード(58位)らが指名を受けている。ドラフト外選手にはジョン・アメイチ、リック・ブランソン、マット・マロニー、ケビン・オーリーらがいる。

全体5位指名でミネソタ・ティンバーウルブズに入団したケビン・ガーネットは、その後のNBA全体の流れに大きな影響を与えた選手となった。まず彼はNBAにとっては20年ぶりとなる、大学に進学せずに高校から直接NBA入りを果たした選手となった。以後、ドラフトにアーリーエントリーする高卒選手が急増し、各チームは将来を嘱望される選手を大学でのプレイを待たずして手に入れることができるようになったが、一方でリーグの低年齢化が問題視されるようになり、2005年にはドラフトの年齢制限が18歳から19歳に引き上げられることが決まった。またガーネットが1997年に結んだ巨額契約は当時のサラリーの高騰に拍車を掛け、1998年に発生するロックアウトの一因にもなった。

オールスターにはA・マクダイス、J・スタックハウス、R・ウォーレス、K・ガーネット、T・ラトリフ、M・フィンリーの6人が選出されている。

 詳細は1995年のNBAドラフトを参照
カナダ進出

更なる海外進出を狙うNBAは、カナダに本拠地を置くバンクーバー・グリズリーズトロント・ラプターズが新たに加盟し、リーグは27チームから29チームに拡大した。NBAのカナダ進出は、実にNBAの前身であるBAA創設時に存在したトロント・ハスキーズ以来のことである。しかしバンクーバーでの興行は振るわず、2001年にグリズリーズはテネシー州メンフィスに本拠地を移転している。
ロックアウト危機

前季のオフに起こった「バック・ウィリアムス事件」の尾を引く球団オーナーと選手会の新労使協定締結はシーズンが終わっても解決を見ず、このオフも両者の交渉と対立は続いた。リーグは7月1日に選手会に対して、新協定の合意が無ければロックアウトを実施するという最終宣告を通知。そして実際に幾つかの業務を停止させている。事実上NBA初のロックアウト突入という事態にパトリック・ユーイングを始めとする有志の選手が問題解決に動き、ラグジュアリー・タックス(贅沢税)の引き下げや、ラリー・バード例外条項の復活などのリーグからの譲歩を引き出した。


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