1995年のヤクルトスワローズ
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1995年のヤクルトスワローズ
成績
日本一
日本S4勝1敗(対オリックス[1]
セントラル・リーグ優勝
82勝48敗 勝率.631[2]
本拠地
都市東京都新宿区
球場明治神宮野球場

球団組織
オーナー桑原潤
経営母体ヤクルト本社
監督野村克也
≪ 19941996 ≫

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1995年のヤクルトスワローズ(1995ねんのヤクルトスワローズ)では、1995年のヤクルトスワローズにおける動向をまとめる。

この年のヤクルトスワローズは、野村克也監督の6年目のシーズンであり、2年ぶり4度目のリーグ優勝と2年ぶり3度目の日本シリーズ制覇を果たしたシーズンである。
概要

前年3連覇を逃したチームは野村の要望で角盈男を投手コーチに招聘[3]。また、前年まで二軍監督を務めマネージャー暮らしの長かった松井優典をヘッドコーチに迎えるなど、就任6年目の野村監督はコーチ陣を再編。開幕前はFAで広沢克己と自由契約によりジャック・ハウエルが巨人に移籍により戦前の下馬評では苦戦が予想される中(3位か4位と予想する評論家が多かった)、開幕戦は斎藤雅樹に完封負けを喫したものの翌試合では桑田真澄に完封される目前で飯田哲也への危険球により退場に追い込まれた後リリーフで登板した橋本清石毛博史を攻略し逆転勝ちをおさめ続く第3戦も勝利する。その次の対中日戦で阪神を自由契約になりヤクルトに加入したトーマス・オマリーが3打席連続本塁打を放つなど、オマリーとロッテから加入のヘンスリー・ミューレン、そしてテスト入団のテリー・ブロスの外国人勢の大活躍によりチームは7月まで首位を独走するが、三村敏之監督率いる広島に1ゲーム差と迫られた。しかし8月以降広島の主力選手にアクシデントが続出すると再び突き放し、9月9日の巨人戦ではブロスがノーヒットノーランを達成して巨人の自力優勝を消滅させると、最後は2年ぶりにリーグ優勝。さらにオリックス・ブルーウェーブとの対戦となった同年の日本シリーズでもオマリーが活躍、古田敦也を中心としたバッテリーもイチローを徹底的に封じ込め、4勝1敗で快勝し2年ぶりの日本一奪回を果たした。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1中飯田哲也
2左荒井幸雄
3捕古田敦也
4一オマリー
5遊池山隆寛
6三ミューレン
7二土橋勝征
8右真中満
9投岡林洋一

1995年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時最終成績
1位ヤクルト--ヤクルト--ヤクルト--ヤクルト--ヤクルト--ヤクルト--
2位広島4.0広島5.5広島5.5広島3.5広島6.0広島8.0
3位巨人4.5巨人巨人7.5横浜8.5巨人10.5巨人10.0
4位横浜横浜横浜8.0巨人8.5横浜12.5横浜16.0
5位中日6.0阪神10.5阪神13.0阪神21.0阪神30.0中日32.0
6位阪神8.0中日12.0中日17.0中日24.5中日31.0阪神36.0


1995年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
1位ヤクルトスワローズ82480.631優勝
2位広島東洋カープ74561.5698.0
3位読売ジャイアンツ72581.55410.0
4位横浜ベイスターズ66640.50816.0
5位中日ドラゴンズ50800.38532.0
6位阪神タイガース46840.35436.0

日本シリーズ

1995年 日本シリーズ日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月21日(土)第1戦ヤクルトスワローズ5 - 2オリックス・ブルーウェーブグリーンスタジアム神戸
10月22日(日)第2戦ヤクルトスワローズ3 - 2オリックス・ブルーウェーブ
10月23日(月)移動日
10月24日(火)第3戦オリックス・ブルーウェーブ4 - 7ヤクルトスワローズ明治神宮野球場
10月25日(水)第4戦オリックス・ブルーウェーブ2 - 1ヤクルトスワローズ


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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