1994年の政治
ルワンダで集団虐殺(ジェノサイド)が開始(約100日間でおよそ100万人)。
4月8日 - 細川首相、辞意を表明。
4月10日 - NATO、ボスニア紛争でセルビア人勢力を空爆。
4月25日 - 新生党、公明党、社会党など連立与党、羽田孜を首班指名。
4月26日 - 社会党、連立与党が社会党抜きで統一会派を結成したことに反発して連立離脱(会派に加わらなかった新党さきがけは閣外協力に)。
4月26日 - 南アフリカ共和国で初となる全人種参加による普通選挙が実施(投票は29日まで)。マンデラ率いるANC(アフリカ民族会議)が国民議会と全国州評議会の双方で多数派を制する。
4月27日
南アフリカ大統領にネルソン・マンデラが就任。南ア史上初の黒人大統領。
イタリア大統領のスカルファノは、シルヴィオ・ベルルスコーニ(フォルツァ・イタリア党首)を第74代首相に指名。
4月28日 - 羽田内閣成立。少数与党政権となる。
5月
5月8日 - 「南京大虐殺はでっち上げだ」と発言した永野茂門法務大臣が辞任。後任に中井洽。
5月16日 - 加藤紘一、山崎拓、小泉純一郎(YKK)らがグループ新世紀を結成。
6月
6月15日 - イスラエルとバチカン市国が国交を樹立。
6月16日 - ジミー・カーター元アメリカ大統領、金日成・北朝鮮主席と会談。
6月29日 - 自民党、社会党、新党さきがけが村山富市社会党委員長を首相指名。
6月30日 - 村山内閣発足。副総理・外相に自民党総裁河野洋平、蔵相にさきがけ代表武村正義。
7月
7月8日
ナポリサミット開幕、エリツィン・ロシア大統領10日に初参加。
金日成・北朝鮮主席死去。葬儀委員長は金正日書記。
7月20日 - 村山首相、所信表明演説にて「自衛隊合憲」、「日米安保堅持」と明言し、それまでの社会党の政策を180度転換する。
7月21日 - トニー・ブレアがイギリス労働党党首に選出。
8月
8月14日 - 「日本は侵略戦争をしようと思って戦ったのではない」との発言の責任を問われた桜井新環境庁長官が辞任。後任に宮下創平。
8月25日 - 村山首相訪越。
8月29日 - ロシア軍、旧東ドイツとバルト諸国から撤退。
9月
9月3日 - 社会党臨時党大会。自衛隊合憲、日米安保体制堅持などの政策転換を追認。
10月
10月21日 - 米朝枠組み合意により北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)からの即時脱退を撤回。
10月16日 - ドイツ連邦議会選挙。ヘルムート・コール首相の与党であるキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)が最大野党であるドイツ社会民主党(SPD)を抑えて第一党を維持、連立パートナーである自由民主党(FDP)と合わせて過半数を確保したことにより、コールは5期連続で首相の座を維持した。→選挙の詳細な結果については「1994年ドイツ連邦議会選挙」を参照。
11月
11月8日 - 米中間選挙で共和党が40年ぶりに上下両院で過半数を獲得。
11月9日 - 税制改革法案成立。平成9年(1997年)に消費税率が5パーセントに引き上げ決定。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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