1994年の西武ライオンズ
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1994年の西武ライオンズ
成績
日本シリーズ敗退
日本S2勝4敗(対巨人[1]
パシフィック・リーグ優勝
76勝52敗2分 勝率.594[2]
本拠地
都市埼玉県所沢市
球場西武ライオンズ球場

球団組織
オーナー堤義明
経営母体コクド
監督森祇晶
スローガン
チャレンジ
≪ 19931995 ≫

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1994年の西武ライオンズ(1994ねんのせいぶライオンズ)では、1994年の西武ライオンズにおける動向をまとめる。

この年の西武ライオンズは、森祇晶監督の9年目のシーズンであり、5年連続16度目のリーグ優勝を果たしたシーズンである。
概要

4年連続のリーグ優勝を達成するも、ヤクルトに日本一を持って行かれ、雪辱を期す森監督はダイエーとの間で主力選手の大型トレードを敢行。ダイエーへ移籍した秋山幸二に代わって佐々木誠が1番を打つことで、打線は長打力こそ低下するが、安定性は向上すると森監督は考えていた。投手陣も中継ぎの柱だった内山智之の穴は橋本武広が埋め、2番手エースだった渡辺智男の穴は村田勝喜が埋めるはずだった。伊東勤の開幕戦史上初逆転サヨナラ満塁本塁打で勢いに乗ったチームは順調に勝ち進んだが、佐々木・橋本が活躍する一方で、ローテ入りが期待された村田は不振に陥り、新外国人選手のマイク・パグリアルーロロッド・ブリューワも戦力になったとは言い難かった。加えて、西武ライオンズ育ての親である根本陸夫監督率いるダイエーがマークするなど苦戦。7月を9勝12敗と負け越し、8月も13勝13敗で苦戦したが、9月に入ると先発陣の郭泰源石井丈裕新谷博を揃ってリリーフへ回すスクランブル起用が成功し、11連勝を記録。ダイエー、オリックス近鉄の上位チームのもたつきにも助けられ、10月2日の近鉄戦に勝って森監督が胴上げされた。日本シリーズは西武有利が予想されるも、第5戦でリリーフ陣の要だった杉山賢人緒方耕一に満塁本塁打を打たれると流れが巨人へ傾き、第6戦は打線が槙原寛己から1点しか奪えず、最後のバッターで代打の切り札垣内哲也が三振に倒れゲームセット。試合後、森監督の勇退が正式に発表され、1982年広岡達朗政権から続いた西武の黄金時代が終わりを告げた。
チーム成績
レギュラーシーズン

オーダー変遷開幕:4/95/16/17/18/29/2
1
佐々木誠辻発彦二辻発彦二辻発彦中佐々木誠二辻発彦
2笘篠誠治左笘篠誠治指安部理左笘篠誠治二奈良原浩右吉竹春樹
3パグリアルーロ中佐々木誠中佐々木誠中佐々木誠三石毛宏典中佐々木誠
4清原和博一清原和博一清原和博一清原和博一清原和博一清原和博
5鈴木健指パグリアルーロ三パグリアルーロ指パグリアルーロ遊田辺徳雄指鈴木健
6石毛宏典三石毛宏典左ブリューワ三石毛宏典左笘篠誠治三石毛宏典
7吉竹春樹垣内哲也遊田辺徳雄遊田辺徳雄指パグリアルーロ左安部理
8伊東勤捕伊東勤捕伊東勤捕伊東勤捕植田幸弘捕伊東勤
9田辺徳雄奈良原浩右垣内哲也右垣内哲也右羽生田忠克遊田辺徳雄
郭泰源投郭泰源投郭泰源投渡辺久信石井丈裕工藤公康

[3]

1994年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時最終成績
1位西武--西武--西武--西武--西武--西武--
2位ダイエーダイエー0.5ダイエー5.0ダイエー1.0オリックス1.0オリックス7.5
3位オリックス2.5オリックス6.5オリックス6.0オリックス近鉄1.0近鉄
4位ロッテ3.5ロッテ8.0ロッテ11.0近鉄5.5ダイエー4.0ダイエー7.5
5位日本ハム4.5近鉄10.0近鉄13.0ロッテ15.5ロッテ16.0ロッテ21.0
6位近鉄4.5日本ハム11.0日本ハム16.0日本ハム19.0日本ハム20.0日本ハム28.5
期間
成績12勝7敗
勝率.63215勝8敗
勝率.65212勝7敗
勝率.6329勝12敗
勝率.42913勝13敗
勝率.50015勝5敗2分
勝率.750

1994年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率


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