1993年の西武ライオンズ
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1993年の西武ライオンズ
成績
日本シリーズ敗退
日本S3勝4敗(対ヤクルト[1]
パシフィック・リーグ優勝
74勝53敗3分 勝率.583[2]
本拠地
都市埼玉県所沢市
球場西武ライオンズ球場

球団組織
オーナー堤義明
経営母体コクド
監督森祇晶
スローガン
新たに
≪ 19921994 ≫

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1993年の西武ライオンズ(1993ねんのせいぶライオンズ)では、1993年の西武ライオンズにおける動向をまとめる。

この年の西武ライオンズは、森祇晶監督の8年目のシーズンであり、4年連続15度目のリーグ優勝を果たしたシーズンである。
概要

この年から2年間、一軍投手コーチを務めた杉下茂は「西武は黄金時代の真っ最中だった。清原和博秋山幸二辻発彦石毛宏典伊東勤、投手で、郭泰源渡辺久信工藤公康石井丈裕・・・。はっきり言って、寝ていても勝てるような布陣だった。」[3]と述べている。4年連続のリーグ優勝&日本一が期待されたが、4月を9勝6敗1分で終える平凡なスタート。投手陣は前年MVPの石井丈裕を筆頭に、工藤公康・渡辺久信・郭泰源らの先発陣、さらに新谷博内山智之・鹿取義隆・潮崎哲也といったリリーフ陣が中心になって3点差や4点差以上の試合で勝ち5月には上旬に4連勝、下旬に8連勝をマークし月間16勝7敗とするなどチーム防御率2.96はリーグ1位で、投手陣が健闘した1年となった。チームは6月5日から12日と、6月26日から7月4日にかけ2度の5連勝をマークするなど4連覇秒読みと言われたが、8月中旬に日本ハム戦3連敗などで1勝7敗と負け越し、首位陥落。しかし8月25日からの5連勝で首位を奪い返すと、最後まで守り抜いた。2位日本ハムの全日程は10月3日に終了し、同日時点で10試合を残し4.5ゲーム差をつけていたが、その直後から1分を挟んで4連敗し優勝マジック1で足踏み状態。10月13日のロッテ戦に勝ち、ようやく4連覇を決めたが、その後残り4試合は全敗、最終的に日本ハムとは1.0ゲーム差となった。全球団から勝ち越したものの日本ハム・近鉄にそれぞれ13勝12敗1分と苦戦した。杉山賢人はリーグ最多の54試合に投げて、7勝5セーブで新人王に輝いた[3]。打撃陣はオレステス・デストラーデの移籍でチーム本塁打も114本まで落ちこんだが、この年首位打者の辻発彦が奮闘した。日本シリーズヤクルトと2年連続の対戦となり最終戦までもつれ込むが第7戦でチームは2対4で敗戦、パ・リーグ球団初の4年連続日本一達成を逃した。シーズン終了後秋山、渡辺智男、内山とダイエー佐々木誠村田勝喜橋本武広との交換トレードが発表された。
チーム成績
レギュラーシーズン

オーダー変遷開幕:4/105/16/17/18/19/1
1
笘篠誠治辻発彦二辻発彦二辻発彦二辻発彦二辻発彦
2平野謙右平野謙右羽生田忠克右羽生田忠克右平野謙右平野謙
3トレンティーノ中秋山幸二指鈴木健三石毛宏典三石毛宏典三石毛宏典
4清原和博一清原和博一清原和博一清原和博一清原和博一清原和博
5秋山幸二指トレンティーノ中秋山幸二中秋山幸二中秋山幸二中秋山幸二
6鈴木健三鈴木健左安部理指トレンティーノ指安部理指鈴木健
7石毛宏典遊田辺徳雄三石毛宏典左笘篠誠治左垣内哲也左安部理[注 1]
8伊東勤捕伊東勤捕伊東勤捕伊東勤捕伊東勤捕伊東勤
9田辺徳雄大塚光二奈良原浩遊田辺徳雄遊奈良原浩遊奈良原浩
渡辺久信郭泰源工藤公康投郭泰源投郭泰源投石井丈裕

[4]

1993年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時最終成績
1位日本ハム--西武--西武--西武--西武--西武--
2位西武1.0日本ハム4.5日本ハム6.0日本ハム3.0日本ハム1.5日本ハム1.0
3位オリックス2.5オリックス5.0近鉄7.0オリックス9.5オリックス7.0オリックス3.5
4位近鉄3.0近鉄6.5オリックス11.0近鉄10.5近鉄12.5近鉄7.0
5位ロッテ3.5ロッテ8.5ロッテ14.0ロッテ19.0ロッテ23.0ロッテ23.5


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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