1992年のオールスターゲーム_(日本プロ野球)
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1992年オールスターゲーム (日本プロ野球)

1992年のオールスター
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目次

1 試合概要

2 選出選手

3 試合結果

3.1 第1戦

3.1.1 オーダー


3.2 第2戦

3.2.1 オーダー


3.3 第3戦

3.3.1 オーダー



4 テレビ・ラジオ中継

4.1 テレビ中継

4.2 ラジオ中継


5 脚注

6 関連項目

7 外部リンク

試合概要

前年、日本選手権シリーズ2連覇を達成した西武ライオンズ森祇晶監督が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率い、セ・リーグを制した広島東洋カープ山本浩二監督が全セ(オールセントラル・リーグ)を率いた1992年のオールスターゲーム。夏季オリンピック開催年3試合制が初めて適用された球宴となった。3試合目が地方開催になったのもこのときからであり、オールスターで投手が打順に入った最後の年である(翌年のオールスター以降では両リーグともに全試合指名打者制度を採用したため。DH解除は除く)。

第1戦は全パの下位打線、6番石井浩郎近鉄)、7番田辺徳雄(西武)、8番佐々木誠ダイエー[1]の3連続本塁打が飛び出しまず1勝を挙げる。続く第2戦は古田敦也ヤクルト)が、初回先頭打者として三塁打を放つと3回に単打、5回に本塁打、そして9回二塁打を記録しオールスター史上初めてサイクル安打を達成、文句なしのMVPに輝いた。初の地方開催となった第3戦は「杜の都」仙台に場所を移して開催された。8回まで0点に抑え込まれていた全セは8回表一気に4点挙げ逆転。9回裏には地元宮城県で大学まで過ごした横浜大洋ホエールズの守護神・佐々木主浩が登板した。

オールスター史上初の地方開催となった第3戦、試合前には地元の郷土芸能「すずめ踊り」が披露されるなどした。しかし、当時の宮城球場(現:楽天生命パーク宮城)は公称で収容人数30,000人だったにも関わらず、当時は東北地方を本拠地とする球団がなかったことも影響し、オールスター戦で満員の観客を集めても16,000人弱にしかならず、オールスター最小観客動員数の記録となった。なお、全試合で実質観客数発表が行なわれるようになったのは2005年からである。また、同年に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスによる球場の全面改修もあって、2016年には30,508人を収容できるようになった。
選出選手

セントラル・リーグ[2]パシフィック・リーグ[2]
監督山本浩二広島監督森祇晶西武
コーチ高木守道中日コーチ仰木彬近鉄
野村克也ヤクルト土井正三オリックス
投手桑田真澄巨人5投手野茂英雄近鉄3
北別府学広島7石井丈裕西武2
大野豊広島8郭泰源西武3
小松辰雄中日4赤堀元之近鉄初
与田剛中日2伊藤敦規オリックス初
岡林洋一ヤクルト初酒井勉オリックス初
斎藤雅樹巨人3金石昭人日本ハム2
槙原寛己巨人4白井康勝日本ハム初
佐々木主浩大洋吉田豊彦ダイエー2
仲田幸司阪神前田幸長ロッテ
中込伸阪神初河本育之ロッテ初
盛田幸妃▲大洋初渡辺久信▲西武6
山本昌広中日2
捕手古田敦也ヤクルト3捕手伊東勤西武9
達川光男広島7田村藤夫日本ハム7
大久保博元巨人初吉永幸一郎ダイエー初
一塁手広沢克己ヤクルト6一塁手清原和博西武7
二塁手和田豊阪神2二塁手辻発彦西武6
三塁手岡崎郁巨人4三塁手石毛宏典西武12
遊撃手久慈照嘉阪神初遊撃手浜名千広ダイエー初
内野手正田耕三広島5内野手田辺徳雄西武初
落合博満中日12石井浩郎近鉄初


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