1991年韓国地方議会議員選挙
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また、同じ野党で結党以来、高い支持率を維持してきた民主党も469名の候補者中21名の当選、李基澤総裁の地元である釜山市(51議席)でさえ1名の当選に留まるなど厳しい結果となった。そして、革新政党としての勝利を目指した民衆党は江原道の旌善郡で1名が当選するに留まった。また無所属候補は115名が当選したが、この内97名は与党系とされるため、これを加算した与党系の議席は661議席(76.3%)と全体の4分の3を超える結果となった。
民自党圧勝の要因

選挙前に水西事件[2]やフェノール汚染事件[3]といった政府に対する国民の不信感を増幅するような事件が続発した上に、インフレや家賃高騰などで低所得者層を中心に国民生活に深刻なダメージが生じていたため、与党にとって不利な状況であったように見えた。しかし、全国民族民主運動連合(全民連)や全国大学生代表者協議会(全大協)などの在野勢力と野党が共同して行った盧泰愚政権退陣要求デモ(5月闘争[4])が過激さを増す中、焼身自殺した全民連の社会部長の遺書を総務部長が代筆していたことが明らか(5月29日)になると反政府運動に対する国民の批判が高まった。そのうえ6月3日には鄭元植国務総理代理(前文教部長官)が韓国外国語大学校で行った最終講義の後、デモ参加学生によって小麦粉を浴びせられた上に校内を引き回される事件が発生したことで、過激な反政府運動に同調する野党に対する国民の不信感は決定的なものとなり、そのことが野党の敗因につながった。
選挙後の情勢

広域議会選挙で圧勝した民自党では、盧泰愚大統領の後継者選定を巡って、議院内閣制改憲に持ち込みたい多数派の旧民正党と有力大統領候補である金泳三を抱える旧民主党の間で争いが表面化した。一方、本地方選挙で敗北した新民党と民主党は、一旦は頓挫[5]した両党の統合を再び推進することを決定し、同年9月10日に新たな統合野党としての「民主党」(金大中・李基澤共同代表)を発足させた。

「統合」民主党発足時の院内勢力分野[6]党派議席備考
民主自由党214
民主党77新民67名・民主8名・その他2名
無所属7新民党との統合に加わらなかった民主2名を含む

脚注^ 当初の立候補者数は2,885名であったが、立候補辞退(17名:民自1名、新民2名、民主2名、無所属12名)や登録無効(8名:新民2名、民主1名、民衆1名、無所属4名)など合計で25名が選挙戦から撤退し、最終的に2,860名となった。
^ 韓国の財閥グループである韓宝グループが、本来宅地造成が出来ないソウル市水西地区の土地を安値で購入し、青瓦台や政府、与野党、ソウル市等へのロビー活動を行ない同地区の宅地開発許可を取り付けたことで、莫大な利益を上げたことを発端とした汚職事件である。事件は、現職副総理やソウル市長を初めとして政財界の大物が相次いで取り調べを受け、韓宝グループ会長や青瓦台秘書官、國會議員5名、建設局長など9名が起訴される事態となった。盧泰愚大統領の関与も指摘されたが、疑惑が解明されないままで捜査は打ち切られた。
^ 慶尚北道大邱近郊の亀尾工業団地にある斗山電子の工場が有害物質であるクロロフェノールを洛東江に流して下流域住民の飲料水を汚染した事件である。飲料水が汚染された事件であるだけに国民の反発は大きく、斗山グループ系列のOBビール不買運動にまで発展した。
^ 4月26日に授業料値上げ反對デモに参加していた明知大学生の姜慶大(カン・ギョンテ)が、戦闘警察によって乱打され死亡した事件をきっかけとしたもので、在野勢力と野党は「故姜慶大烈士暴力殺人糾弾と公安統治終息のための汎国民対策会議」(対策会議)を結成して運動を進めたが、本文中に記述したような理由から運動に対する国民の不信感が強まった。さらに鄭元植国務総理代理への小麦粉洗礼事件が発生したことで混迷していた政局は一挙に事態収拾へと動き、反政府運動も盛り上がりを欠いたまま終息することとなった。
^ 民自党の結成直後、平民党と民主党は統合に向けて協議を重ねていたが、民主党側が平民党総裁の職にあった金大中の第1線からの後退を要求したのに対し、平民党側がこれを拒否したことで、統合は白紙となっていた。
^ 議席数は『アジア動向年報』1992年版、16頁「民主党の出現」の記述より

参考文献

自治体国際化協会編Clair Report No103 ⇒
『韓国の地方選挙』 (PDF) 自治体国際化協会

韓国中央選挙管理委員会編 ⇒『大韓民國選擧史 第5輯』韓国中央選挙管理委員会(E-BOOK

環太平洋問題研究所編著『韓国・北朝鮮総覧 1993』(原書房

アジア経済研究所アジア動向年報』1992年版(アジア経済研究所)

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