1991年ソ連国内軍ヘリ撃墜事件事件・インシデントの概要
日付1991年11月20日 (1991-11-20)
概要撃墜
現場
アゼルバイジャン、ナゴルノ・カラバフ自治州(法令上)
アルツァフ共和国(事実上)
マルトゥニ地区カラケンド
1991年ソ連国内軍ヘリ撃墜事件(1991ねんソれんこくないぐんヘリげきついじけん)は、ナゴルノ・カラバフ戦争中の1991年11月20日、ナゴルノ・カラバフ自治州内カラケンド(ロシア語版)で、国際停戦監視団の搭乗するソビエト連邦国内軍(ロシア語版)所属の輸送ヘリが、アルメニア人武装勢力により撃墜され、搭乗員22名全員が死亡した事件[2]。アゼルバイジャン側からはカラケンドの惨事(アゼルバイジャン語: Qarak?nd faci?si)と呼ばれる[3]。 当日の現地時間 (UTC+4) 14時42分、ナゴルノ・カラバフ自治州(自治州側は、すでに「ナゴルノ・カラバフ共和国」を自称して9月2日に独立宣言を行っていた[4])のマルトゥニ地区 (ru
目次
1 事件と調査
2 余波
3 犠牲者
4 脚注
事件と調査
事件直後にタス通信が「ナゴルノ・カラバフ共和国」側のソースにより報じた内容は、ヘリが霧の中で岩場に衝突した、というものであった[6]。しかし、その後の調査で機体の胴にロケット砲の爆発のような穴が確認されたため[7]、パイロットエラーや悪天候を原因とする説は弱まった(また、事件当時の現場の視界は6-8キロメートルあった)[1]。軍が現場に到着した時には、ヘリの装置やジャーナリストの撮影機材、犠牲者たちの貴重品、そして12丁の拳銃はすでに略奪された後であった(遺体の一部が持ち去られたとの主張もある)。しかしブラックボックスは現場に残されており、これは調査のためバクーへ送られた[1]。
ヘリには3度の砲撃を受けた跡があり、ローターや機体の穴から、攻撃手段は大口径の戦車砲、PKや14.5mm口径のPKTVであろう、と調査団は推定した[1]。また、未確認の報道によれば死体にも弾痕があり、事件直後に現場で正体不明のヘリや現場に向かう緑色のGAZ-56 (ru) を目撃したとの証言も挙がっている[1]。事件の翌21日には、現場に国内軍少将のヴャチェスラフ・ポノマリョフが到着し、アゼルバイジャン大統領の了解のもと、さらに連邦検事総長のニコライ・トルービン (ru) や連邦検察局長、航空工学専門家、軍事検察官や連邦内務副大臣もアゼルバイジャンへ入った[1]。