1991年の阪神タイガース
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1991年の阪神タイガース
成績
セントラルリーグ6位
48勝82敗0分 勝率.369
本拠地
都市
兵庫県西宮市
球場阪神甲子園球場

球団組織
オーナー久万俊二郎
経営母体阪神電気鉄道
監督中村勝広
選手会長平田勝男
スローガン
3F(フレッシュ、ファイト、フォア・ザ・チーム)
≪ 19901992 ≫

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1991年の阪神タイガース(1991ねんのはんしんタイガース)では、1991年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。

この年の阪神タイガースは、中村勝広監督の2年目のシーズンである。
概要

この年はいきなり開幕5連敗とつまずき、5月に8連敗、6月にはチーム新記録の10連敗・7連敗と大型連敗が相次ぎ、セ・リーグでは1965年サンケイ1980年中日1985年ヤクルトについで史上4度目の全日程最下位に終わった(この年は5位の大洋に16ゲームも離された)。3割打者は新外国人のトーマス・オマリーのみ、2桁勝利投手ゼロでタイトル争いに絡む選手もいない状況であった。オールスターゲームにおいてもファン投票で真弓明信しか選出されず、監督推薦はいなかった。これについて全セ・リーグを率いた巨人藤田元司監督は「申し訳ないけれど、勝つためのメンバーを選びました」と語っており[1]、阪神の選手層の薄さを象徴していた。9月22日から中込伸湯舟敏郎野田浩司猪俣隆葛西稔と5試合連続でドラフト1位入団投手が完投勝利という快挙を達成し、これが翌年の快進撃につながっていく。9月に11勝9敗と持ち直したが、チーム打率.237、チーム防御率4.37と、投打共に低迷し2年連続最下位に終わる。[2]。シーズン終了後、総合コーチの川藤幸三が退団、田尾安志は引退[3]



チーム成績
レギュラーシーズン

オーダー変遷開幕:4/65/16/17/28/19/1
1
高橋慶彦中ウイン遊和田豊遊和田豊遊和田豊遊和田豊
2和田豊左高橋慶彦二山脇光治亀山努嶋田章弘宮内仁一[注 1]
3オマリー一オマリー一オマリー二岡田彰布二岡田彰布二岡田彰布
4岡田彰布二岡田彰布三八木裕一オマリー一オマリー一オマリー
5ウイン三八木裕中ウイン三八木裕右真弓明信右真弓明信
6田尾安志真弓明信右真弓明信[注 2]中ウイン三八木裕三八木裕
7八木裕遊和田豊左金森永時[注 3]中野佐資中ウイン中ウイン
8木戸克彦捕木戸克彦捕木戸克彦捕山田勝彦捕山田勝彦捕山田勝彦
9野田浩司猪俣隆湯舟敏郎投猪俣隆投猪俣隆投野田浩司

[4]

1991年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位大洋--広島--中日--中日--中日--広島--広島--
2位広島1.0ヤクルト0.0ヤクルト1.5ヤクルト1.0広島4.5中日3.0中日3.0
3位ヤクルト1.0中日2.0巨人5.0広島3.5ヤクルト6.0ヤクルト8.5ヤクルト7.0
4位巨人1.0巨人2.0広島6.0巨人5.0巨人6.0巨人9.5巨人8.0
5位中日1.5大洋2.5大洋12.0大洋13.5大洋16.5大洋13.0大洋10.0
6位阪神4.5阪神8.5阪神20.5阪神22.0阪神24.0阪神23.0阪神26.0
期間
成績5勝11敗
勝率.3139勝15敗
勝率.3754勝18敗
勝率.1826勝9敗
勝率.40011勝11敗
勝率.50011勝9敗
勝率.5502勝9敗
勝率.182


1991年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
1位広島東洋カープ74562.569優勝
2位中日ドラゴンズ71591.5463.0
3位ヤクルトスワローズ67632.5157.0
4位読売ジャイアンツ66640.5088.0


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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