1991年の近鉄バファローズ
成績
パシフィック・リーグ2位
77勝48敗5分 勝率.616[1]
本拠地
都市大阪府藤井寺市
球場藤井寺球場
球団組織
オーナー上山善紀
経営母体近畿日本鉄道
監督仰木彬
≪ 19901992 ≫
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1991年の近鉄バファローズ(1991ねんのきんてつバファローズ)では、1991年の近鉄バファローズにおける動向をまとめる。
1991年の近鉄バファローズは、仰木彬監督の4年目のシーズンである。 前年連覇が期待されながらも西武の独走を許して3位に転落したチームは仰木監督のプロ入り同期で南海OBの皆川睦雄を投手コーチに、前年限りでオリックスを退団した住友平を打撃コーチに迎えるなど、コーチングスタッフを再編してシーズンに臨んだ。コーチ陣を一新したチームは4月・5月を貯金3で終えるが、西武の勢いが止まった6月に反撃を開始。7月からの2か月間で30勝11敗と大きく勝ち越して首位を守るものの、西武が9月以降反撃。チームは9月以降西武との直接対決で勝ち越せずそのまま首位を奪われ、最終的に球団新の77勝を上げながらも西武の2連覇を許した。投手陣ではエース阿波野秀幸が酷使などの影響で成績を落としたが、2年目の野茂英雄をはじめ山崎慎太郎・高柳出己・小野和義・佐々木修が1年ローテを守るなど強力で、特に野茂は2年目のジンクスが懸念されたがこの年も最多勝を獲得しチームの看板選手となり、防御率ベスト10に3人を送り込むなどチーム防御率は前年の4.34から3.46へ改善され、43完投はリーグ2位を記録。打撃陣では来日2年目のジム・トレーバーが石井浩郎に4番を譲ったものの、勝負強い打撃で打点王に輝くなどいてまえ打線は健在で、チーム本塁打・チーム打率はともにリーグ1位を記録したが、ラルフ・ブライアントが7月以降ケガで離脱したのが響き本塁打は前年の181本から157本へと低下した。 オーダー変遷開幕:4/65/16/17/28/19/1 1991年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時最終成績
概要
チーム成績
レギュラーシーズン
1遊吉田剛二大石大二郎二大石大二郎二大石大二郎中中根仁中村上隆行[注 1]
2中新井宏昌中新井宏昌中新井宏昌左新井宏昌指新井宏昌二大石大二郎
3左ブライアント一トレーバー一トレーバー一トレーバー左リード左中根仁
4一石井浩郎左ブライアント指ブライアント指ブライアント一石井浩郎一トレーバー
5指トレーバー右鈴木貴久左加藤正樹[注 2]三金村義明右鈴木貴久右鈴木貴久
6三金村義明三金村義明右鈴木貴久右鈴木貴久三金村義明指石井浩郎
7右鈴木貴久指石井浩郎三金村義明中村上隆行二安達俊也三金村義明
8捕山下和彦捕光山英和捕古久保健二捕古久保健二捕光山英和捕光山英和
9二安達俊也遊安達俊也遊安達俊也遊吉田剛遊吉田剛遊吉田剛
投阿波野秀幸投池上誠一投小野和義投小野和義投入来智投野茂英雄
1位西武--西武--西武--近鉄--近鉄--西武--
2位近鉄3.0近鉄7.0近鉄4.0西武1.5西武1.5近鉄4.5
3位日本ハム3.5日本ハムダイエー7.5日本ハム10.5オリックス15.5オリックス18.5
4位ロッテ4.0ダイエー10.5日本ハム10.0ダイエー12.5ダイエー19.0日本ハム28.5
5位ダイエー5.0ロッテ11.5オリックス12.0オリックス14.0日本ハム19.5ダイエー29.0
6位オリックス8.5オリックス15.0ロッテ20.0ロッテ23.5ロッテ30.0ロッテ33.5
期間
成績10勝8敗
勝率.55611勝10敗
勝率.52415勝8敗
勝率.65214勝3敗1分
勝率.82416勝8敗1分
勝率.66711勝11敗3分
勝率.500
3位オリックス・ブルーウェーブ64633.50418.5
4位日本ハムファイターズ53725.42428.5
5位福岡ダイエーホークス53734.42129.0
6位ロッテオリオンズ48775.38433.5