1991年の日本シリーズ
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1991年の日本シリーズ
ゲームデータ
日本一
西武ライオンズ
2年連続10回目
4勝3敗
試合日程1991年10月19日-10月28日
最高殊勲選手秋山幸二
敢闘賞選手川口和久
チームデータ
西武ライオンズ()
監督森祇晶
シーズン成績81勝43敗6分
(シーズン1位) 
広島東洋カープ()
監督山本浩二
シーズン成績74勝56敗2分
(シーズン1位)
日本シリーズ ≪ 1990 1992 ≫
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1991年の日本シリーズ(1991ねんのにっぽんシリーズ、1991ねんのにほんシリーズ)は、2年連続パ・リーグを制した森祇晶が率いる西武ライオンズと5年ぶりにセ・リーグを制した山本浩二が率いる広島東洋カープの対決となり、10月に広島市民球場西武ライオンズ球場で行われた。
概要

戦前の西武有利の予想に反し広島が先に3勝2敗とし、後一歩まで追い詰めたものの、前回1986年の対戦に引き続き、逆転で達成した日本一であった。

勝った西武監督の森祇晶は後に出版した著書で「佐々岡川口を第5戦と第6戦まで温存していたなら、結果は反対になっていたかもしれない」と述べている[1]。1986年の日本シリーズでMVPとなった工藤公康はこのシリーズでも2勝を挙げ、胴上げ投手となる活躍を見せた。

西武の石毛宏典はのちに最も印象に残った日本シリーズはと問われ、この時のシリーズを挙げている。一塁にヘッドスライディングする野村謙二郎前田智徳の溌剌としたプレーなど無欲でひたむきなカープの選手の姿に敵ながら感じるところがあり、最終戦を前にしたミーティングで「本来これらのプレーは自分達の持ち味であったはずなのにそのプレーをカープの選手にされてしまっている。今一度我々も原点にもどって戦うべき」と訴えチームを鼓舞したと語っている[2]

新球場にフランチャイズが移動した2009年までに広島の日本シリーズ出場が無かったため、このシリーズが旧広島市民球場で開催された最後の日本シリーズになった。
試合結果

1991年 日本シリーズ日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月19日(土)第1戦広島東洋カープ3 - 11西武ライオンズ西武ライオンズ球場
10月20日(日)第2戦広島東洋カープ4 - 2西武ライオンズ
10月21日(月)移動日
10月22日(火)第3戦西武ライオンズ1 - 0広島東洋カープ広島市民球場
10月23日(水)第4戦西武ライオンズ3 - 7広島東洋カープ
10月24日(木)第5戦西武ライオンズ0 - 3広島東洋カープ
10月25日(金)移動日
10月26日(土)第6戦広島東洋カープ1 - 6西武ライオンズ西武ライオンズ球場
10月27日(日)第7戦雨天中止
10月28日(月)広島東洋カープ1 - 7西武ライオンズ
優勝:西武ライオンズ(2年連続10回目)

第1戦


10月19日:西武ライオンズ球場(入場者:31770人)  123456789
RHE
広島東洋カープ010000002352
西武ライオンズ30260000X11101

広:佐々岡(2回2/3)、石貫(1回)、紀藤(2回1/3)、川端(1回)、金石(1回)

西:工藤(9回)

:工藤(1勝)  :佐々岡(1敗)  

本塁打
広:アレン1号ソロ(2回・工藤)
西:清原1号2ラン(1回・佐々岡)、デストラーデ1号ソロ(1回・佐々岡)、秋山1号2ラン(3回・佐々岡)、石毛1号満塁(4回・紀藤)

審判
[球審]前川
[塁審]小林毅(一)、牧野(二)、井上(三)
[外審]藤本(左)、岡田功(右)

試合時間:2時間48分

西武は初回、清原和博の本塁打、さらにデストラーデのソロ本塁打で、計3点を挙げる。広島は2回表にアレンのソロ本塁打で1点を奪って2点差に詰めた。しかし西武は3回裏、秋山幸二の2ラン本塁打で、5-1と広島を突き放す。さらに4回裏には石毛宏典の満塁本塁打など打者11人の猛攻で6点を奪った。

西武先発の工藤は3回以降、広島打線に1本の長打も許さず、四球もわずか1つとほぼ完璧に抑え込み、3失点(自責点1)・124球で完投勝利。

公式記録関係(日本野球機構ページ)
第2戦


10月20日:西武ライオンズ球場(入場者:31903人)  123456789
RHE
広島東洋カープ100030000451
西武ライオンズ000200000250

広:川口(8回0/3)、大野(1回)

西:郭(4回1/3)、小田(0回2/3)、石井(3回)、潮崎(1回)

:川口(1勝)  :郭(1敗)  S:大野(1S)  

本塁打
西:デストラーデ2号2ラン(4回・川口)

審判
[球審]岡田功
[塁審]藤本(一)、小林毅(二)、牧野(三)
[外審]井野(左)、(右)

試合時間:3時間11分

広島は初回、野村のヒットと四球で2死一・二塁とチャンスを作り、小早川毅彦のセンターへの二塁打で1点を先制。しかし西武は、4回裏、デストラーデの2ラン本塁打で逆転。

直後の5回表、正田耕三、野村の四球のあと、前田智徳の三塁打、西田真二のヒットで3点を挙げ広島が逆転、郭をKOした。

一方、広島の先発・川口は8回まで投げきる。9回裏、広島は大野豊が抑えとして登板。平野の代打・鈴木康友、秋山に連打を浴びるが、後続を断ち4-2と広島が1勝を挙げた。大野は1セーブ目をマーク。これで広島は1勝1敗のタイに追いついた。また、日本シリーズで初めて指名打者の解除があった(広島の指名打者の長内孝が守備に就いた為)。

西武は1987年第2戦から本シリーズ第1戦まで、日本シリーズ本拠地8連勝を記録していたが、この試合に敗れ本拠地での連勝はストップした。一方、広島はこの勝利が2020年時点で日本シリーズのビジター球場における最後の白星となっている[注釈 1]

公式記録関係(日本野球機構ページ)
第3戦


10月22日:広島市民球場(入場者:27713人)  123456789
RHE
西武ライオンズ000000010161
広島東洋カープ000000000051

西:渡辺久(9回)

広:北別府(7回2/3)、石貫(0回2/3)、金石(0回2/3)

:渡辺久(1勝)  :北別府(1敗)  

本塁打
西:秋山2号ソロ(8回・北別府)


審判
[球審]橘
[塁審]井野(一)、藤本(二)、小林毅(三)
[外審]前川(左)、井上(右)

試合時間:3時間37分

始球式は1994広島アジア大会のマスコットキャラクター・ポッポとクックが務めた。

西武は初回、先頭の辻が二塁打で出塁し、平野が犠打で送って一死三塁と好機を作るが、後続が続かず無得点。対する広島は2回裏、アレンがエラーで出塁すると小早川がヒットで続き、これを山崎隆造が犠打で送って一死二・三塁のチャンスを迎えるが、渡辺久は続く達川光男・北別府を連続三振に仕留めてこれを乗り切る。以降、両打線とも決定打を欠き、ゼロ行進が続く。

8回表、先頭の秋山のソロ本塁打で西武が1点を先制。虎の子の1点を渡辺久が守りきり、被安打5、9奪三振で前年1990年第1戦に続いてシリーズ2試合連続完封勝利(日本シリーズタイ記録)。渡辺久はこれで1986年第6戦からシリーズ通算5連勝で、これも稲尾和久に並ぶシリーズタイ記録だった。対照的に広島の黄金時代を支えたエースながら日本シリーズ未勝利だった北別府は1979年第1戦から通算5連敗となり、これも藤田元司村山実と並ぶシリーズタイ記録となった。

公式記録関係(日本野球機構ページ)
第4戦


10月23日:広島市民球場(入場者:28591人)  123456789
RHE
西武ライオンズ000000030331
広島東洋カープ11030020X7121

西:渡辺智(2回0/3)、小田(1回)、潮崎(2回)、鈴木哲(2回)、鹿取(1回)

広:佐々岡(8回)、大野(1回)

:佐々岡(1勝1敗)  :渡辺智(1敗)  

本塁打
広:長内1号ソロ(7回・鈴木哲)

審判
[球審]井上
[塁審]前川(一)、井野(二)、藤本(三)
[外審]岡田功(左)、牧野(右)

試合時間:3時間6分

広島は初回、正田の二塁打、アレンのヒットで1点を先制。2回裏にも野村のタイムリーヒットで追加点をあげると、さらに3回裏も無死一・二塁と攻め立て、渡辺智をKO。この回は西武の2番手・小田真也がピンチをしのいで無得点に抑えたが、広島は4回裏、西武の3番手潮崎哲也から、達川が二塁打で出塁すると、一死後、野村・正田・西田の3連打が飛び出し3点を奪った。7回裏には途中から一塁の守備についていた長内孝が西武の4番手鈴木哲から本塁打を放つなど、2点を追加する。

一方、広島先発の佐々岡は7回まで西武打線を無安打無得点(唯一の出塁は野村の失策)に抑え込む。8回表、石毛・代打森博幸に四球を与え、続く代打鈴木健に安打を許し、あと5アウトのところでノーヒットノーランを逃した。さらに代打の安部理が走者一掃の3点タイムリー二塁打を放ち、ようやく西武が点差を縮める。しかし後続を佐々岡が抑え、9回は大野が締めて試合終了。再び広島が2勝2敗のタイに追いついた。

公式記録関係(日本野球機構ページ)
第5戦


10月24日:広島市民球場(入場者:28669人)  123456789
RHE
西武ライオンズ000000000060
広島東洋カープ00210000X381

西:工藤(7回)、鹿取(1回)

広:川口(8回)、大野(1回)

:川口(2勝)  :工藤(1勝1敗)  S:大野(2S)  

本塁打
広:アレン2号2ラン(3回・工藤)

審判
[球審]牧野
[塁審]岡田功(一)、前川(二)、井野(三)
[外審]橘(左)、小林毅(右)

試合時間:2時間51分

3回裏、広島は一死から正田がヒットで出塁し、二死後アレンの2ラン本塁打で2点を先制。4回裏、西山秀二がヒットで出塁、前田が犠打で送り、達川のライト前へのタイムリーヒットで西山が生還し、3点目を追加する。

広島の先発・川口は中3日での登板だったが、西武打線を8回まで無得点に抑え、被安打5、7奪三振と好投。9回、2連投となる大野が登板。2死後石毛に二塁打を許したが、平野を三振に仕留めて3-0でゲームセット。抑えの大野が2セーブ目をマークし、広島が7年ぶりの日本一に王手をかけた。

なおこの試合が広島市民球場で行われた最後の日本シリーズ試合となった。

公式記録関係(日本野球機構ページ)
第6戦


10月26日:西武ライオンズ球場(入場者:31900人)  123456789
RHE
広島東洋カープ000100000140
西武ライオンズ10000500X6120

広:川端(3回)、石貫(1回)、金石(1回2/3)、川口(0回0/3)、紀藤(2回1/3)

西:郭(5回)、石井(4回)

:石井(1勝)  :金石(1敗)  

本塁打
西:秋山3号3ラン(6回・紀藤)

審判
[球審]小林毅
[塁審]橘(一)、岡田功(二)、前川(三)
[外審]井上(左)、藤本(右)

試合時間:3時間3分

初回、西武は辻がヒットで出塁し、二死後清原のタイムリーヒットで1点を先制。4回表、広島はアレンのタイムリーで同点に追いつく。広島は奇襲としてこの年の初先発だった川端順を3回で早々とあきらめ、4回から石貫宏臣、5回から金石昭人と細かい継投。西武も6回から石井丈裕にスイッチ。

試合は6回裏に動いた。西武は金石を攻め、2本のヒットと死球で一死満塁とチャンスを作る。金石は続く辻を打ち取るが、左打者の安部を迎えたところで広島は左の川口を投入。しかし、西武は安部に代えて右打者の代打・鈴木康友を送る。その鈴木康が川口からレフト前に2点タイムリーを放って西武が3-1と勝ち越す。広島は川口をわずか3球であきらめて紀藤真琴をマウンドに送るが、代わったばかりの紀藤から秋山がレフトへ3ラン本塁打を放ち、勝利を大きく引き寄せた。川口起用についてヘッドコーチの大下剛史は「当時は日本シリーズも予告先発制じゃないからね。僕は第7戦で左の川口か右のピッチャーか、相手からすればどっちがくるかわからない作戦を描いていた。ところがあのピンチの場面、山本監督がどうしても川口で行きたがるのよ。僕は「監督、川口は明日でしょう」と返した。しかし、浩二が「行きたい。今日で決着を付ける」と言ってきかない。いくら僕がヘッドでも、最後に決めるのは監督だからね。「あんたがそこまで言うなら、そうしよう」と。確かにあそこが勝負の分岐点だったね。翌年(1992年)の春、西武のキャンプを見に行ったら、森さんから言われたよ。「大下、おまえともあろうものがなんであそこで川口を使うのか」と。それで、いや僕は翌日にとっておきたかったんだけど、監督が“どうしても使いたい”と言うてきかなかった」と正直に答えたら苦笑いしていたね」と述べている[3]

西武の2番手・石井丈は4イニングをわずか1安打に封じた。最終回も3人で片付け、6-1で西武が勝ち、3勝3敗のタイとなった。

公式記録関係(日本野球機構ページ)
第7戦


10月28日:西武ライオンズ球場(入場者:32011人)  123456789
RHE
広島東洋カープ010000000140
西武ライオンズ00003040X7110

広:佐々岡(4回1/3)、川口(0回2/3)、北別府(1回0/3)、川端(1回)、足立(1回)

西:渡辺久(4回)、工藤(5回)

:工藤(2勝1敗)  :佐々岡(1勝2敗)  

本塁打
西:秋山4号2ラン(7回・川端)


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