1991年の中日ドラゴンズ
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1991年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ2位
71勝59敗1分 勝率.546
本拠地
都市
愛知県名古屋市
ナゴヤ球場

球団組織
オーナー加藤巳一郎
経営母体中日新聞社
監督星野仙一
選手会長小松辰雄
≪ 19901992 ≫

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1991年の中日ドラゴンズ(1991ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1991年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、星野仙一監督の5年目のシーズンである。
概要

就任5年目を迎えた星野監督は「もう一度優勝する」と意気込んで広島長嶋清幸音重鎮山田和利との交換で獲得し、さらにシーズン途中にはオリックス南牟礼豊蔵川畑泰博で獲得するなど戦力を再編。それ以外では矢野輝弘スコット・アンダーソンを獲得するなど、落合博満宇野勝らのベテランと立浪和義種田仁らの若手を融合させる野球を目指した。

コーチングスタッフには、一軍投手コーチにロッテオリオンズ投手コーチ時代、落合のよき相談相手だった佐藤道郎、一軍内野守備走塁コーチには、阪急ブレーブスOBが多く在籍する中、オリックスを退団した同級生で同期の大橋穣を招聘した。

開幕カードの巨人戦は2連勝で勝ち越したが6月頃までは6月18日の後述のサヨナラホームランを打った彦野利勝が故障離脱するアクシデントもあり、開幕から大型連敗を繰り返した阪神を除いた5球団で首位の入れ替わりが目立つ団子状態から抜け出せないままでいた。7月19日の巨人戦で中村武志の同点満塁ホームランとサヨナラホームランなどで8点差をひっくり返して劇的勝利を収めるなどして勢いに乗り、前半戦を首位で折り返す。8月も15勝11敗と勝ち越して首位の座を守り3年ぶり優勝の声も聞かれていた。ところが、9月1日の広島戦(広島市民球場)に敗れ同一カード3連勝を逃すと、以降は失速[1]。9月10日からのナゴヤ球場での広島戦で3連敗を喫すると首位から陥落し、広島のマジックが点灯した9月24日には星野監督の辞任が発表されると1勝2敗ペースで黒星が増え、優勝をあと一歩の所で逃しシーズンを2位で終えた。投手陣はベテラン小松辰雄郭源治、若手の今中慎二の奮闘が目立ったが2年連続2ケタ勝利の西本聖が不調だった。打撃陣では新外国人のマーク・ライアル、4番の落合博満、そして彦野に代わって1番に入った立浪が活躍しそれなりの成績を収めた。星野監督の後任にはOBの高木守道が就任した。
チーム成績
レギュラーシーズン

オーダー変遷開幕:4/65/16/17/38/19/1
1
立浪和義遊立浪和義遊立浪和義遊立浪和義遊立浪和義遊立浪和義
2仁村徹酒井忠晴種田仁山口幸司二種田仁二種田仁
3ライアル右彦野利勝右ライアル右ライアル右ライアル右ライアル
4落合博満一落合博満一落合博満一落合博満一落合博満一落合博満
5大豊泰昭山崎武司[注 1]三宇野勝左大豊泰昭左大豊泰昭三仁村徹
6長嶋清幸三宇野勝左大豊泰昭二仁村徹捕中村武志捕中村武志
7宇野勝中長嶋清幸中長嶋清幸三宇野勝三宇野勝左大豊泰昭
8中村武志山中潔捕中村武志捕中村武志中南牟礼豊蔵中南牟礼豊蔵
9小松辰雄アンダーソン投アンダーソン投今中慎二投今中慎二投小松辰雄

[2]

1991年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位大洋--広島--中日--中日--中日--広島--広島--
2位広島1.0ヤクルト0.0ヤクルト1.5ヤクルト1.0広島4.5中日3.0中日3.0
3位ヤクルト1.0中日2.0巨人5.0広島3.5ヤクルト6.0ヤクルト8.5ヤクルト7.0
4位巨人1.0巨人2.0広島6.0巨人5.0巨人6.0巨人9.5巨人8.0
5位中日1.5大洋2.5大洋12.0大洋13.5大洋16.5大洋13.0大洋10.0
6位阪神4.5阪神8.5阪神20.5阪神22.0阪神24.0阪神23.0阪神26.0


1991年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
1位広島東洋カープ74562.569優勝
2位中日ドラゴンズ71591.5463.0
3位ヤクルトスワローズ67632.5157.0
4位読売ジャイアンツ66640.5088.0


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