1990年大会の開催国選定は、1983年7月31日にイタリア、イングランド、オーストリア、ギリシャ、ソビエト連邦、西ドイツ、フランス、ユーゴスラビアの8か国が立候補した[8]。その1か月後、イタリア、イングランド、ギリシャ、ソ連を除くすべての国が辞退し[9]、最終投票前の1984年初頭にイングランド、ギリシャが辞退した。
1984年5月19日にスイスのチューリヒで開催されたFIFA理事会での決選投票の結果、イタリアが11票、ソ連が5票という結果となり[10]、1986年大会のメキシコでの開催に続き、1934年大会で開催国を務め優勝をした実績を持つイタリアでの2回目のワールドカップ開催が決まった。この投票結果について、同年にアメリカ合衆国で開催されたロサンゼルスオリンピックに対するソビエト連邦をはじめとした東欧諸国のボイコットが影響を与えたものと推測されたが[11]、FIFAのジョアン・アベランジェ会長はこれを否定した[10]。
予選詳細は「1990 FIFAワールドカップ・予選」を参照.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 予選を通過した国 予選で敗退した国 予選を棄権した国 FIFA未加盟国
予選には116チームが参加を表明したが、出場停止処分や棄権により103チームが参加。開催国のイタリアと前回優勝国のアルゼンチンには自動的に出場権が与えられ、残りの22の出場枠が争われた。ヨーロッパには13枠、南米とアフリカとアジアと北中米カリブ海にはそれぞれ2枠が与えられ、残りは南米とオセアニアとの間でプレーオフにより決定された。最初の試合は1988年4月17日に1989 CONCACAF選手権・トリニダード・トバゴ対ガイアナ戦として行われ、トリニダード・トバゴが4-0と勝利した[12]が、予選最後の試合は1989年11月19日に行われたトリニダード・トバゴ対アメリカ合衆国戦だった[12]。
本予選ではメキシコとチリの2チームが国際サッカー連盟から出場停止処分を受けた。メキシコは1988年に行われたCONCACAF U-20選手権にU-20代表が出場した際に規定年齢以上の4選手を偽って出場させていた事件に対して[13](1988年メキシコサッカー連盟スキャンダル)、チリは南米予選のブラジル戦の際にキーパーのロベルト・ロハスが観客席から投げ込まれた発煙筒により頭部を負傷したと偽り[14]、試合をボイコットした事件(ロハス事件)に対しての処分だった[12]。メキシコは2年間の出場停止処分[13]、チリはロハスの永久追放のほか1994 FIFAワールドカップ・予選への出場停止処分と罰金4万ポンドが科せられた[14]。
コスタリカ、アイルランド、アラブ首長国連邦[12]の3チームが初出場を果たし、長らく大会から遠ざかっていたエジプト(1934年大会以来[12])、アメリカ合衆国(1950年大会以来[12])、コロンビア(1962年大会以来[12])、ルーマニア(1970年大会以来)が本大会出場を果たした。その一方で前回大会において決勝トーナメントに進出したフランス、デンマーク、ポーランド、モロッコなどは予選で敗退した[12][15]。 大陸連盟出場
出場国
枠数予選組
予選順位出場国・地域出場回数備考
UEFA1+13開催国 イタリア8大会連続12回目
欧州予選1組1位 ルーマニア5大会ぶり5回目
2組1位 スウェーデン3大会ぶり8回目
2位 イングランド3大会連続9回目
3組1位 ソビエト連邦3大会連続7回目
2位 オーストリア2大会ぶり6回目
4組1位 オランダ3大会ぶり5回目
2位 西ドイツ10大会連続12回目
5組1位 ユーゴスラビア2大会ぶり8回目
2位 スコットランド5大会連続7回目
6組1位 スペイン4大会連続8回目