1990年ドイツ民主共和国人民議会選挙
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この地域で行われた自由選挙としては、1932年11月ドイツ国会選挙以来実に57年ぶりである[注釈 1]。
選挙データ
内閣
選挙前:モドロウ内閣(第5代)
首相:ハンス・モドロウ
選挙後:デメジエール内閣(第6代)
首相:ロタール・デメジエール
投票日
1990年3月18日
改選数
400(100)
選挙制度
比例代表制
ベルリン(東ベルリン):35
ドレスデン県:46
カール=マルクス=シュタット県:48
ライプツィヒ県:37
ゲーラ県:22
エアフルト県:34
ズール県:17
ハレ県:47
マクデブルク県:34
コトブス県:25
ポツダム県:31
フランクフルト (オーダー)県:21
ノイブランデンブルク県:19
シュヴェリーン県:18
ロストック県:26
議席阻止条項はなし
得票は全国レベルで集票して各党に比例配分(ニーマイアー式による議席配分)
次に各選挙区に選挙区毎の得票数に応じて、配分される。
政党への助成 - 有効得票総数の 0.25% を得た政党には、1票につき5マルクが国庫補助金として支給される。
選挙結果e
? d 1990年ドイツ民主共和国人民議会選挙(1990年3月18日施行)党派別獲得議席
政党/候補者名簿連合議席数増減得票数得票率
キリスト教民主同盟163 1114,710,59840.82%
ドイツ社会同盟25新党727,7306.31%
民主主義の出発4新党106,1460.92%
ドイツ連合[注釈 2]192新党5,544,47448.05%
東ドイツ社会民主党[注釈 3]88新党2,525,53421.88%
民主社会党[注釈 4]66 391,892,38116.40%
自由民主同盟[注釈 5]21 31608,9355.28%
同盟90[注釈 6]12新党336,0742.91%
ドイツ民主農民党9 43251,2262.18%
東ドイツ緑の党・独立婦人同盟[注釈 7]8新党226,9321.97%
ドイツ国家民主党2 5044,2920.38%
ドイツ民主婦人同盟1 3138,1920.33%
統一左翼行動同盟[注釈 8]1新党20,3420.18%
諸派[注釈 9]0 13352,7730.45%
総計400 10011,541,155100.0%
有効票数(有効率)--11,541,15599.45%
無効票・白票数(無効率)--63,2630.55%
投票総数(投票率)--11,604,41893.38%
棄権者数(棄権率)--822,0256.62%
有権者数--12,426,443100.0%
出典: ⇒IPU
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 1933年3月ドイツ国会選挙も複数政党のもとで行われたが、既にナチ党政権が成立しており、また国会解散後に国民の集会の自由および報道の自由を制限する「ドイツ民族保護のための大統領令」が、投票直前に国会議事堂放火事件が発生した後には事実上の戒厳令である「国民及び国家保護のための大統領令」がヒトラー首相の建議によってヒンデンブルグ大統領より出されていたため、選挙期間中に社会民主党など対立政党に対する様々な嫌がらせ・弾圧が行われていた。
^ 社会主義体制時代の衛星政党であるドイツキリスト教民主同盟(西ドイツの同名政党とは別団体)などが、西ドイツのドイツキリスト教民主同盟の支援を受けた連盟。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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