1990年の近鉄バファローズ
成績
パシフィック・リーグ3位
67勝60敗3分 勝率.528[1]
本拠地
都市大阪府藤井寺市
球場藤井寺球場
球団組織
オーナー上山善紀
経営母体近畿日本鉄道
監督仰木彬
≪ 19891991 ≫
テンプレートを表示
1990年の近鉄バファローズ(1990ねんのきんてつバファローズ)では、1990年の近鉄バファローズにおける動向をまとめる。
1990年の近鉄バファローズは、仰木彬監督の3年目のシーズンである。 前年日本一こそ逃したものの、連覇に燃える仰木監督はオフのドラフト会議で社会人No.1の野茂英雄を交渉権を獲得して入団させ、またプリンスホテルの石井浩郎もドラフト3位で獲得するなど戦力を強化したチームは優勝候補の本命にあがるが、ダイエーとの開幕戦でエース阿波野秀幸が5回途中8失点の大誤算、その試合こそ打線の奮起で勝ったものの次の試合から9連敗を喫し大きく出遅れる。野茂のローテ入りという明るい話題はあったものの、阿波野や先発2番手の山崎慎太郎が打たれてKOされる試合が多く、4番候補の石井が風疹にかかるなどの誤算で4月を6勝10敗で終える最悪のスタート。5月も9勝12敗と波に乗れず、開幕ダッシュを果たした西武に大差をつけられ、5位に低迷していた。しかし、野茂の奮闘や風疹の完治した石井が6月に一軍入りするとチームはようやく反撃開始。6月を12勝9敗で勝ち越すと、7月に16勝5敗で借金を返済しオリックスや日本ハムとAクラス争いを展開するが、西武の背中は遠く3位で全日程を終えた。投手陣ではルーキー野茂が1年目ながら最多勝を獲得したものの阿波野・山崎は勝ち星が低下し、さらに左腕の小野和義と先発4番手の加藤哲郎がそれぞれ肩痛に襲われて不本意な成績に終わるなどの誤算でチーム防御率が4.34と前年から低下。打撃陣では前年優勝の立役者ラルフ・ブライアントとこの年入団のジム・トレーバーを中心に打ちまくり、チーム打率リーグ1位、チーム本塁打リーグ2位をそれぞれ記録するも、ブライアントは相手球団のマークもあり本塁打が半減した。もう一人のルーキー石井は規定打席未満ながらも22本塁打を放ち、仰木監督の期待に応えた。 オーダー変遷開幕:4/85/16/17/18/19/1 1990年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績 1990年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝敗分勝率差
概要
チーム成績
レギュラーシーズン
1二大石第二朗中村上隆行二大石第二朗中新井宏昌二大石第二朗二大石第二朗
2中新井宏昌二大石第二朗左加藤正樹二大石第二朗中新井宏昌左新井宏昌
3左ブライアント指ブライアント中新井宏昌右ブライアント右鈴木貴久三石井浩郎
4指トレーバー一トレーバー一トレーバー一トレーバー一トレーバー一トレーバー
5右鈴木貴久三金村義明三金村義明三金村義明指金村義明右鈴木貴久
6一後関昌彦右鈴木貴久指中谷忠己指中谷忠己三石井浩郎指中谷忠己
7三金村義明左中根仁右中根仁左加藤正樹左中谷忠己[注 1]中村上隆行
8捕山下和彦捕山下和彦捕山下和彦捕光山英和捕山下和彦捕山下和彦
9遊米崎薫臣遊安達俊也遊米崎薫臣遊安達俊也遊安達俊也遊米崎薫臣
投阿波野秀幸投池上誠一投山崎慎太郎投野茂英雄投高柳出己投阿波野秀幸
1位西武--西武--西武--西武--西武--西武--西武--
2位ロッテ2.5オリックス5.0オリックス4.5オリックス9.0オリックス16.5オリックス11.5オリックス12.0
3位日本ハム2.5日本ハム9.0日本ハム7.0近鉄11.0日本ハム16.5日本ハム13.5近鉄14.5
4位オリックス4.5ロッテ11.0近鉄12.0日本ハム13.5近鉄18.5近鉄15.5日本ハム16.5
5位近鉄6.0近鉄13.0ロッテ14.0ロッテ22.5ロッテ27.0ロッテ23.5ロッテ25.0
6位ダイエー8.5ダイエー19.0ダイエー22.5ダイエー31.0ダイエー35.5ダイエー35.0ダイエー40.0
期間
成績6勝10敗
勝率.3759勝12敗
勝率.42912勝9敗1分
勝率.57116勝5敗
勝率.7629勝15敗
勝率.3757勝6敗2分
勝率.5388勝3敗
勝率.727
1位西武ライオンズ81454.643優勝
2位オリックス・ブレーブス69574.54812.0
3位近鉄バファローズ
4位日本ハムファイターズ66631.51216.5
5位ロッテオリオンズ57712.44525.0