1990年の福岡ダイエーホークス
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1990年の福岡ダイエーホークス
成績
パシフィック・リーグ6位
41勝85敗4分 勝率.325
本拠地
都市
福岡県福岡市中央区
球場平和台野球場

球団組織
オーナー中内?
(代行:中内正
経営母体ダイエー
監督田淵幸一
選手会長小川史
スローガン
Action Baseball
≪ 19891991 ≫

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1990年の福岡ダイエーホークスでは、1990年シーズンについての福岡ダイエーホークスの動向をまとめる。

この年の福岡ダイエーホークスは、田淵幸一監督の1年目のシーズンである。
概要

田淵監督はヘッドコーチに黒田正宏、打撃コーチに大田卓司、スコアラーに豊倉孝治を招聘した。大きな期待の中でスタートを切ったのも束の間、ドラフト会議で1位指名した元木大介に早々と入団を拒否され、いきなりつまずくとシーズンにおいても開幕4連敗を喫するなど低迷し、4月28日に早くも最下位に転落。さらに助っ人のウィリー・アップショートニー・バナザードが田淵監督と衝突し相次いで退団、急遽獲得したリッチ・ゴセージはMLB通算307セーブの片鱗を見せることができず、先発投手陣も2桁勝利ゼロに終わり、チーム防御率は5年ぶりに5点台まで落ち、打撃陣も両外国人の退団もありチーム本塁打が116本まで落ち込み、チーム打率も.251で12球団最下位に転落するなど誤算が相次いだ。特に2位のオリックスと相性が悪く、4月10日から1分を挟んで7連敗。6月6日の試合でようやく初勝利も3連敗、1つ勝って7連敗で20回戦時点でわずか2勝、さらにビジターで同一カード12連敗と散々で最終的に3勝22敗(1分)の惨敗で、26回戦中8試合で2ケタ失点と投手陣もボロボロだった。チーム防御率5.56は12球団ワースト。結局、田淵監督の1年目は優勝の西武から40ゲーム差を付けられ、5位のロッテにも15ゲーム差を付けられて最下位という惨憺たる結果に終わった。この年の勝利数(41)、敗北数(85)、勝率(.325)はいずれも2リーグ分立以降、2022年終了時点で球団ワースト記録である。
チーム成績
レギュラーシーズン

オーダー変遷開幕:4/85/16/37/48/19/1
1
湯上谷宏二湯上谷宏右松林和雄中佐々木誠右佐々木誠右佐々木誠
2佐々木誠右佐々木誠遊小川史二湯上谷宏二湯上谷宏遊御船英之
3岸川勝也一アップショー指藤本博史左小川達明中岸川勝也一若井基安
4アップショー指バナザード三バナザード指バナザード指バナザード中岸川勝也
5バナザード中岸川勝也一アップショー右山本和範一若井基安吉永幸一郎
6山本和範左山本和範二湯上谷宏三藤本博史左広永益隆森脇浩司
7藤本博史馬場敏史吉田博之榊原聡一郎三藤本博史三脇坂浩二
8有田修三内田強畠山準森浩之捕内田強捕有田修三
9小川史遊小川史右佐々木誠遊小川史遊小川史左大道典良
藤本修二村田勝喜井上祐二杉本正高島覚投井上祐二

[1]

1990年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位西武--西武--西武--西武--西武--西武--西武--
2位ロッテ2.5オリックス5.0オリックス4.5オリックス9.0オリックス16.5オリックス11.5オリックス12.0
3位日本ハム2.5日本ハム9.0日本ハム7.0近鉄11.0日本ハム16.5日本ハム13.5近鉄14.5
4位オリックス4.5ロッテ11.0近鉄12.0日本ハム13.5近鉄18.5近鉄15.5日本ハム16.5
5位近鉄6.0近鉄13.0ロッテ14.0ロッテ22.5ロッテ27.0ロッテ23.5ロッテ25.0
6位ダイエー8.5ダイエー19.0ダイエー22.5ダイエー31.0ダイエー35.5ダイエー35.0ダイエー40.0
期間
成績3勝12敗1分
勝率.2006勝16敗1分
勝率.2736勝12敗1分
勝率.3336勝14敗
勝率.30013勝13敗
勝率.5005勝9敗1分
勝率.3572勝9敗
勝率.182


1990年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
1位西武ライオンズ81454.643優勝
2位オリックス・ブレーブス69574.54812.0
3位近鉄バファローズ67603.52814.5


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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