1990年の日本ハムファイターズ
成績
パシフィック・リーグ4位
66勝63敗1分 勝率.512[1]
本拠地
都市東京都文京区
球場東京ドーム
球団組織
オーナー大社義規
経営母体日本ハム
監督近藤貞雄
≪ 19891991 ≫
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1990年の日本ハムファイターズ(1990ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1990年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、近藤貞雄監督の2年目のシーズンである。 近藤監督の1年目を5位で終えたチームは、主力投手の金沢次男をヤクルトへ金銭トレードで放出するなど戦力を再編。打撃陣は切り込み隊長の島田誠の衰えもあり、鈴木慶裕が1番を打つことが多くなるなど、若返りが急速に進んだ。チームは前年優勝の近鉄が開幕から出遅れたこともあり、夏場以降近鉄・オリックスと2位争いを繰り広げた。8月には2位に浮上したものの、投打の戦力が厚い西武の独走を許し、9月23日には西武の胴上げを敵地・西武球場で許した。結局Aクラス入りはならなかったものの4位に食い込み、シーズン勝ち越しで終了。投手陣では不動のエースとなった西崎幸広や柴田保光、松浦宏明などに加えてこの年入団の酒井光次郎がローテーションに入り、3年目の武田一浩が抑えとして活躍するなど盤石で2ケタ勝利投手を多く輩出し、チーム防御率もリーグ2位と健闘したが打線の貧打に泣いた。打撃陣では鈴木や中島輝士などの若手が台頭したが、かつての4番トニー・ブリューワは成績を落とし年齢面もあって退団。オープン戦は不発で近藤監督から「4番として失格」と酷評されたマット・ウインタースが35本塁打を放ち、本塁打王争いの常連となった近鉄のラルフ・ブライアントや西武のオレステス・デストラーデを脅かした。対戦成績ではオリックスに16勝10敗と勝ち越し、近鉄には13勝13敗と健闘した。シーズン終了後、古屋英夫は現役続行を希望して自由契約となり阪神へ、島田が地元球団のダイエーにトレードで移籍した。 オーダー変遷開幕:4/75/16/27/18/19/1 1990年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績 1990年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝敗分勝率差
概要
チーム成績
レギュラーシーズン
1中鈴木慶裕三森範行遊田中幸雄二森範行遊田中幸雄遊田中幸雄
2右島田誠遊白井一幸二五十嵐信一右鈴木慶裕中大内実右大内実
3左ブリューワ左ブリューワ指ウインタース遊田中幸雄左ブリューワ左ブリューワ
4指ウインタース右ウインタース左ブリューワ指ウインタース指ウインタース指ウインタース
5一大島康徳二小川浩一一藤王康晴一大島康徳一大島康徳二小川浩一
6三中島輝士指大島康徳三中島輝士三中島輝士右中島輝士一大島康徳
7遊田中幸雄一中島輝士右小松崎善久左小松崎善久三古屋英夫三古屋英夫
8捕田村藤夫捕田村藤夫捕田村藤夫捕田村藤夫捕田村藤夫捕田村藤夫
9二白井一幸中嶋田信敏[注 1]中嶋田信敏中嶋田信敏二広瀬哲朗中嶋田信敏
投西崎幸広投柴田保光投西崎幸広投柴田保光投津野浩投西崎幸広
1位西武--西武--西武--西武--西武--西武--西武--
2位ロッテ2.5オリックス5.0オリックス4.5オリックス9.0オリックス16.5オリックス11.5オリックス12.0
3位日本ハム2.5日本ハム9.0日本ハム7.0近鉄11.0日本ハム16.5日本ハム13.5近鉄14.5
4位オリックス4.5ロッテ11.0近鉄12.0日本ハム13.5近鉄18.5近鉄15.5日本ハム16.5
5位近鉄6.0近鉄13.0ロッテ14.0ロッテ22.5ロッテ27.0ロッテ23.5ロッテ25.0
6位ダイエー8.5ダイエー19.0ダイエー22.5ダイエー31.0ダイエー35.5ダイエー35.0ダイエー40.0
1位西武ライオンズ81454.643優勝
2位オリックス・ブレーブス69574.54812.0