1990年のオリックス・ブレーブス
成績
パシフィック・リーグ2位
69勝57敗4分 勝率.548
本拠地
都市兵庫県西宮市
球場阪急西宮球場
球団組織
オーナー宮内義彦
経営母体オリックス
球団社長近藤靖夫
1990年のオリックス・ブレーブスでは、1990年のオリックス・ブレーブスにおける動向をまとめる。
この年のオリックス・ブレーブスは、第2次上田利治監督体制の10年目(通算15年目)のシーズンである。キャッチフレーズは「Be パワフル!! ビッグなチャレンジ'90」。 ブーマー・ウェルズや門田博光、石嶺和彦といったブルーサンダー打線の活躍で前年2位に躍進したチームはこの年も優勝候補にあげられ、5月まで貯金9を記録するなど6年ぶりの優勝を期待された。6月以降は西武の8連敗などで一時は0.5ゲーム差に迫るものの、西武の復調後はゲーム差を広げられた。夏場以降は前年優勝の近鉄や日本ハムとの2位争いに終始。8月には4位に転落したものの、シーズン終盤は持ち直して最後は2位で終了。投手陣では前年同様山沖之彦と星野伸之が先発陣の軸となり、ガイ・ホフマンやドン・シュルジーもまずまずの成績を残したがそれ以外のリリーフ投手が不調に終わり、チーム防御率は4.30でリーグ4位だった。打撃陣では4番のブーマーが自打球を当てて欠場するハプニングがあったが、チーム本塁打は186本とブルーサンダー打線は健在だった。この年は福岡2年目のダイエーに22勝3敗1分、5位のロッテには16勝9敗1分とそれぞれ勝ち越したが、優勝の西武に9勝16敗1分と負け越した。山沖・星野といった投手陣の二枚看板に加えて門田、石嶺、藤井康雄らブルーサンダー打線の破壊力で優勝を期待されながらも救援陣の不調で2位に終わったこともあり、シーズン終了後「ブレーブス」の愛称消滅とともに上田監督は勇退した。担当記者たちははじめ後任には二軍監督の福本豊が最有力だと思っていたが[1]、巨人OBの土井正三を迎え、チームの再構築が始まることになる。 オーダー変遷開幕:4/85/16/27/18/19/1 1990年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
概要
チーム成績
レギュラーシーズン
1三松永浩美三松永浩美三松永浩美三松永浩美三松永浩美三松永浩美
2二福良淳一一村上信一中熊野輝光中熊野輝光中本西厚博一佐藤和弘[注 1]
3一ブーマー指門田博光左門田博光指門田博光指門田博光指門田博光
4左門田博光左石嶺和彦右藤井康雄左石嶺和彦左石嶺和彦左石嶺和彦
5指石嶺和彦右藤井康雄指石嶺和彦右藤井康雄一ブーマー右藤井康雄
6中本西厚博中高橋智一村上信一[注 2]一村上信一右藤井康雄中熊野輝光[注 3]
7右南牟礼豊蔵二福良淳一二福原峰夫捕中嶋聡二山越吉洋遊小川博文
8捕中嶋聡捕中嶋聡捕藤田浩雅二山越吉洋捕藤田浩雅捕藤田浩雅
9遊小川博文遊弓岡敬二郎遊小川博文遊小川博文遊小川博文二福原峰夫
投佐藤義則投星野伸之投ホフマン投山沖之彦投山沖之彦投伊藤敦規
1位西武--西武--西武--西武--西武--西武--西武--
2位ロッテ2.5オリックス5.0オリックス4.5オリックス9.0オリックス16.5オリックス11.5オリックス12.0
3位日本ハム2.5日本ハム9.0日本ハム7.0近鉄11.0日本ハム16.5日本ハム13.5近鉄14.5
4位オリックス4.5ロッテ11.0近鉄12.0日本ハム13.5近鉄18.5近鉄15.5日本ハム16.5
5位近鉄6.0近鉄13.0ロッテ14.0ロッテ22.5ロッテ27.0ロッテ23.5ロッテ25.0
6位ダイエー8.5ダイエー19.0ダイエー22.5ダイエー31.0ダイエー35.5ダイエー35.0ダイエー40.0
期間
成績7勝8敗1分
勝率.46717勝7敗
勝率.70810勝8敗1分
勝率.55610勝10敗1分