1989年選挙に基づくセイムとセナトの党派別議席数[5]セイム(下院)
460議席PZPR及び衛星政党枠統一労働者党(PZPR)173299
統一農民党(ZSL)76
民主党(SD)27
パックス協会(PAX)10
キリスト教社会連盟(UChS)8
カトリック社会同盟(PZKS)5
自由選挙枠市民議会クラブ(OKP)161
セナト(上院)
100議席市民議会クラブ(OKP)99
無所属1
選挙の結果、「連帯」系はセイムの自由選挙枠(161議席)の全議席と、セナト100議席中99議席(残る1議席は無所属候補[6])を獲得して圧勝した。「連帯」市民委員会のリストから選出された議員は、6月23日に会合を開き、上下両院合同の院内会派「市民議会クラブ」(Obywatelski Klub Parlamentarny、略称:OKP)を結成した。『地下水道』や『灰とダイヤモンド』などの映画を作成した映画監督のアンジェイ・ワイダもスヴァウキ選挙区から「連帯」候補として出馬し、当選した[7]。
選挙後の7月19日に国民議会(上下両院合同)でヤルゼルスキ将軍が初代大統領に選出、8月24日に「連帯」顧問で経済学者のマゾヴィエツキが下院で首相に選出され、9月7日に「連帯」主導の政権が発足したことで東欧諸国では初となる非共産党政権が成立した。こうして、ポーランド人民共和国は消滅し、新たにポーランド共和国(第三共和制)が成立した。
脚注^ 川原彰著『党中央の民主化の構造 1989年革命と比較政治研究の新展開』(有信堂)103頁‘「危機克服協定」構想の登場’
^ ポーランド資料センター編『ポーランド月報』1989年6月号(通巻87号)6?7頁「下院及び上院の選挙の原則」
^ この中には、全国区で過半数の票を得られず当選者が決まらなかった33議席も含まれている。
^ 登録有権者数と投票率は列国議会同盟(IPU)の ⇒POLAND Parliamentary Chamber: Sejm ELECTIONS HELD IN 1989より
^ 川原彰著『党中央の民主化の構造 1989年革命と比較政治研究の新展開』(有信堂)の125頁、表4?1「新議会の構成」
^ 北西部のピア選挙区で当選したヘンリク・ストクワサ(Henryk Stok?osa)で、かつてはPZPRに所属していたが1982年に「連帯」の活動家を支援したことを理由として同党を除名されていた。出典:「与党上院で議席ゼロ ポーランド第二回投票「連帯」99議席得る」朝日新聞1989年6月20日付7面、縮刷版1989年6月号917頁。
^ 「ポーランド新議員 筋金入り闘士も、映画監督も」読売新聞1989年6月24日付4面
出典
川原彰著『党中央の民主化の構造 1989年革命と比較政治研究の新展開』(有信堂)
共同通信社『世界年鑑1989』
ポーランド資料センター編『ポーランド月報』1989年6月号(通巻87号)、8/9月号(通巻89/90号)
⇒POLAND Sejm election archives?列国議会同盟(IPU)
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