1989年の読売ジャイアンツ
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1989年の読売ジャイアンツ
成績
日本一
日本S4勝3敗(対近鉄[1]
セントラル・リーグ優勝
84勝44敗2分 勝率.656[2]
本拠地
都市東京都文京区
球場東京ドーム

球団組織
オーナー正力亨
経営母体読売新聞社
監督藤田元司
選手会長原辰徳
スローガン
スルメ野球
≪ 19881990 ≫

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1989年の読売ジャイアンツ(1989ねんのよみうりジャイアンツ)では、1989年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。

この年の読売ジャイアンツは2回目の藤田元司監督体制の1年目(通算4年目)のシーズンである。
概要

辞任した王貞治前監督に代わり、藤田元司がこの年から再び就任。藤田監督は就任早々ディフェンス面の再強化を図るべく、西本聖を交換トレードで中日に放出し、代わって一昨年まで中日の正捕手だった中尾孝義を獲得。また前年まで三塁手を守っていた原辰徳を外野に、一塁の中畑清を三塁、遊撃の岡崎郁を一塁にそれぞれコンバートするなど内野陣を再編。さらに捕手陣では山倉和博に代わってレギュラーになった中尾のほか、村田真一を二番手捕手として起用するなど山倉・中尾と競争させた。投手陣では王監督時代はリリーフでの起用が多かった斎藤雅樹が先発に復帰し、槙原寛己桑田真澄と新三本柱を形成。打線では中畑が故障して控えに回ったものの、原やこの年首位打者で4割近くを打ったウォーレン・クロマティが活躍し、さらに岡崎とこの年から一塁手となった駒田徳広のコンビは「最強の6・7番」と言われた。チームは5月まで広島と首位を争ったが、6月以降は広島に代わって首位に立つとゲーム差を広げていき、10月6日の大洋戦に5-0で勝って2年ぶりの優勝を果たした。この年の優勝により、当時「ニュースステーション」でキャスターを務めていた久米宏が同番組での企画で公約した通り丸刈りになったことや「NNNニュースプラス1[3]に出演し万歳三唱したことが話題となり[4]、日本一は近鉄相手に3連敗4連勝の大逆転劇で話題となった[5][6]
チーム成績
レギュラーシーズン

オーダー変遷開幕5/26/17/18/19/2
1
中畑清白幡隆宗三中畑清二緒方耕一左緒方耕一右緒方耕一
2勝呂博憲遊勝呂博憲遊川相昌弘遊川相昌弘遊川相昌弘遊勝呂博憲
3篠塚利夫二篠塚利夫二篠塚利夫中クロマティ三岡崎郁二篠塚利夫
4原辰徳左原辰徳左原辰徳左原辰徳中クロマティ中クロマティ
5クロマティ中クロマティ中クロマティ三岡崎郁一駒田徳広三岡崎郁
6岡崎郁三岡崎郁一岡崎郁一駒田徳広二篠塚利夫左原辰徳
7駒田徳広一駒田徳広右駒田徳広右井上真二右井上真二一駒田徳広
8中尾孝義山倉和博捕中尾孝義捕中尾孝義捕中尾孝義捕中尾孝義
9桑田真澄香田勲男槙原寛己斎藤雅樹投斎藤雅樹投斎藤雅樹

[7]

1989年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位広島--広島--巨人--巨人--巨人--巨人--巨人--
2位巨人3.5巨人0.0広島2.5広島7.0広島8.0広島4.5広島9.0
3位ヤクルト8.0阪神10.5阪神15.5中日14.0中日13.0中日13.0中日15.5
4位阪神8.0ヤクルト11.5ヤクルト15.5ヤクルト20.0ヤクルト24.5ヤクルト23.0ヤクルト28.5
5位中日8.0中日12.0中日阪神22.0阪神29.0阪神28.0阪神30.5
6位大洋8.5大洋14.0大洋17.0大洋24.0大洋30.5大洋33.5大洋36.5


1989年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ84442.656優勝
2位広島東洋カープ73516.5899.0
3位中日ドラゴンズ68593.53515.5
4位ヤクルトスワローズ55723.43328.5


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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