1989年の福岡ダイエーホークス
成績
パシフィック・リーグ4位
59勝64敗7分 勝率.480[1]
本拠地
都市福岡県福岡市中央区
球場平和台野球場
球団組織
オーナー中内?
(代行:中内正)
経営母体ダイエー
監督杉浦忠
選手会長吉田博之
スローガン
Just Now For The Fan
≪ 19881990 ≫
テンプレートを表示
1989年の福岡ダイエーホークスでは、1989年シーズンについての福岡ダイエーホークスの動向をまとめる。
1989年の福岡ダイエーホークスは、南海での3年間を含めて杉浦忠監督の4年目のシーズンである。 前年打撃二冠の門田博光がオリックスに移籍し、主砲を欠いた状態で新天地でのスタートを切ったチームは、4月15日のホーム開幕戦こそ山内孝徳の力投で勝ったものの、山内孝はその試合で燃え尽きたかのように以降勝てなくなり、藤本修二を故障で欠いた投手陣が踏ん張れず6月に最下位に転落、そのまま前半戦を終える。後半に入ると、岸川勝也が当時の日本タイとなるシーズン3本のサヨナラ本塁打を記録するなど打線が粘り強さを発揮。10月5日には西武に3回まで8点をリードされながら9回に8点を奪い逆転勝ちするなど「閉店間際のダイエー野球」は優勝を争う西武・近鉄・オリックスにとって脅威となった。最終的に3球団と互角の勝負を繰り広げ順位を4位まで上げ、シーズン終了後杉浦監督は勇退した。投手陣は藤本修の離脱、山内孝の不振でチーム防御率4.74はリーグ最下位と不振だったが吉田豊彦が10勝挙げてローテーション入り、加藤伸一も勝ち頭の12勝、井上祐二が最優秀救援投手のタイトルを獲得し、打撃陣はトニー・バナザードと新外国人のウィリー・アップショーの両外国人、岸川、藤本博史などの台頭でリーグ2位の166本塁打をマークするなど打線は好調だった。門田とのトレードで獲得した内田強が、吉田博之や山中潔との争いを制し正捕手の座に就いた一方、45試合の出場にとどまった香川伸行はシーズン終了後に河埜敬幸と共に引退した。 オーダー変遷開幕:4/85/26/17/18/29/2 1989年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
概要
チーム成績
レギュラーシーズン
1中佐々木誠二バナザード指山本和範中佐々木誠中佐々木誠中佐々木誠
2遊小川史遊小川史遊小川史遊森脇浩司右若井基安右畠山準[注 1]
3二バナザード中佐々木誠中佐々木誠二バナザード二バナザード二バナザード
4一アップショー一アップショー二バナザード一アップショー一アップショー一アップショー
5右山本和範右山本和範左高柳秀樹[注 2]指高柳秀樹左高柳秀樹[注 3]指山本和範
6左岸川勝也指若井基安一アップショー左岸川勝也[注 4]指山本和範左岸川勝也
7指若井基安左岸川勝也右畠山準捕香川伸行三藤本博史三藤本博史
8捕吉田博之捕吉田博之捕内田強三伊藤寿文捕香川伸行捕内田強
9三坂口千仙三藤本博史三森脇浩司右畠山準遊森脇浩司遊小川史
投山内孝徳投西川佳明投村田勝喜投山内孝徳投西川佳明投吉田豊彦
1位オリックス--オリックス--オリックス--オリックス--近鉄--西武--近鉄--
2位近鉄3.0近鉄4.5近鉄8.5近鉄4.0オリックス2.0オリックス1.5オリックス0.0
3位ダイエー5.5日本ハム5.5日本ハム9.5西武8.0西武2.5近鉄2.5西武0.5
4位日本ハムダイエー7.5西武10.0日本ハム10.0日本ハム11.5ダイエー13.5ダイエー11.0
5位西武6.5西武8.5ロッテ11.5ロッテ13.5ダイエー12.5日本ハム17.5日本ハム18.0
6位ロッテ6.5ロッテ10.0ダイエー14.5ダイエー15.5ロッテ16.5ロッテ22.0ロッテ21.5
期間
成績8勝10敗1分
勝率.4449勝10敗1分
勝率.4747勝15敗
勝率.3187勝10敗2分
勝率.41214勝10敗1分
勝率.5838勝6敗2分
勝率.5716勝3敗
勝率.667