1987年の映画
12月31日 - 東宝ローマ駐在員事務所閉鎖[3]。
日本「1987年の日本#できごと」も参照日比谷シャンテシャンテ・シネ
1月
東宝、昭和61年度(1-12月)の映画営業部門の年間配収163億9200万円で新記録達成[1]。
1月10日 - 『夜汽車』(山下耕作監督)、高知東映先行上映、堅調なスタート[2]。1月15日、全国一斉公開[2]。
1月31日
元ATG社長・井関種雄死去[1]。
渡辺プロダクション社長・渡辺晋死去[1]。
2月
2月12日 - 映画字幕翻訳者協会が翻訳料の値上げ、翻訳原稿の二次使用料徴収などを決議[1]。
2月22日 - 第2回「東宝シンデレラ」に小高恵美、審査員特別賞に江野脇由紀(現・水野真紀)[1]。
2月27日 - 昭和61年度芸術選奨映画部門で文部大臣新人賞を斉藤由貴(『恋する女たち』(大森一樹監督))が受賞[1]。
3月
3月7日 - 東京・銀座テアトル西友オープン[1]。
3月21日 - 『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲』(那須博之監督) / 『本場ぢょしこうマニュアル 初恋微熱篇』(中田新一監督)封切、ヒット[2]。
4月
日本ビクター、S-VHSビデオデッキ(HR-S7000)発売[1]。
4月9日 - パラマウント映画創立75周年記念作品『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ監督)を東宝創立55周年記念作品として10月3日に公開することを発表[1]。
4月18日
東宝、都内直営15館で60歳以上の観客に対しシニア料金を設定、入場料金は小人料金と同額(1000円)に割引[1]。
松竹・東急系もGW作品からシニア料金導入決定[1]。
ダイヤモンドホテルで東宝配給、スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画・「となりのトトロ」&「火垂るの墓」の製作発表会が開かれ、宮崎駿(原作、脚本、監督)、高畑勲(脚本、監督)、野坂昭如(小説家)、宣伝顧問の堀内實三(東宝取締役)、徳間康快(徳間書店代表取締役社長)、佐藤亮一(新潮社代表取締役社長)、スタジオジブリ主催の原徹エグゼクティブプロデューサーが出席[4]。
6月
6月1日 - 東宝、東京・『多摩サンリオ・コミュニケーション・ワールド』(のちの『サンリオピューロランド』)建設・運営推進本部設置[1]。
6月16日 - 俳優・鶴田浩二死去[1]。
7月
7月1日
レジャー産業およびビル賃貸業の恵通企業が「ヒューマックス」と改称[1]。
日本ウォルト・ディズニー・プロダクションズが「ウォルト・ディズニー・ジャパン」と改称[1]。
7月4日 - 東京・新宿ピカデリーの2階を改築し、新宿ピカデリー2オープン[1]。
7月8日 - モーション・ピクチャー・アソシエーション・オブ・アメリカ(MPAA)の5社が福岡県のビデオ店を著作権侵害で福岡地裁に提訴[1]。
7月17日 - 俳優・石原裕次郎死去[1]。
7月25日 - 神奈川県・川崎チネチッタ5館オープン[1]。
8月
8月5日 - 映画議員連盟結成[1]。
8月29日 - 秋田東映パラス劇場、『イタズ 熊』(後藤俊夫監督)を先行ロードショー[2]。
9月
9月7日 - 70年の歴史を持つ新国劇、解散が決定[1]。
9月25日 - 第2回東京国際映画祭開幕(10月4日まで)[2][1]。今回よりインターナショナルコンペティション部門新設[2]。
10月
10月1日 - 日本ビデオ協会、ビデオの真正品と海賊版の判別用に偏光シールの使用を開始[1]。
10月2日
日比谷シャンテの1階と地下1階を利用したTBS日比谷スタジオが完成[1]。
有楽町マリオン第2期工事竣工[2][1]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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