試合後にはホッジがマラドーナとユニフォームを交換し、このユニフォームは2000年代にイギリスのナショナル・フットボール・ミュージアムに貸し出された。マラドーナはまた、彼に厳しいマークを付けてタックルを仕掛けた他国と比べ、フェアなプレーに徹したイングランドを称賛した[14]。イングランドでは多くの国民がマラドーナのハンドボールに欺かれたと感じており、アルゼンチンに対するライバル意識がいっそう強まった[10]。その一方でアルゼンチンでは、この試合はフォークランド紛争の仕返しとみなされ、1966 FIFAワールドカップ準々決勝でのアンフェアな試合の仕返しであるともされた。かつてアルゼンチン代表であったロベルト・ペルフーモ
(英語版)は「1986年はイングランドに対する勝利だけで十分であり、FIFAワールドカップで優勝することは二の次であった。イングランド撃破が真の目標であった」と語った[3]。マラドーナの最初のゴールはイングランドで大きな論争となったが、2点目は世界中でその輝きが認められた。彼の才能に対するイングランドの評価としては、2002年にChannel 4が行った投票が良く知られており、「スポーツにおける最高の瞬間」を100位まで選出したその投票ではマラドーナの2点目が6位に選ばれた[15]。エスタディオ・アステカの外にはマラドーナの2点目のシーンの彫像が建立された[16]。アルゼンチンはこの大会で優勝し、1990 FIFAワールドカップでも準優勝となった。イングランドはリネカーがこの大会の得点王に輝き、1990 FIFAワールドカップでは自国開催で優勝した1966 FIFAワールドカップに次ぐ4位という成績を残した。両国はフランスで開催された1998 FIFAワールドカップと日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップでも対戦している。1998 FIFAワールドカップでは両者にひとつずつのPKが与えられた後、イングランドのデヴィッド・ベッカムが退場処分を受けたが、マイケル・オーウェンが見事なゴールを決めて一躍ヒーローとなった。2002 FIFAワールドカップではグループリーグで対戦し、グリニッジ標準時における正午にキックオフされた試合は「史上最長の昼休み」と表現された。イングランドの何百万という人々がテレビ観戦するために仕事や活動の手を止めたためであった。ベッカムのPKでイングランドが1-0で勝利し、結局アルゼンチンは決勝トーナメント進出を逃した[17]。 1986年6月22日
試合詳細
12:00 (CST)
メキシコシティ、エスタディオ・アステカ
観客数: 114,580人
主審: アリ・ビン・ナセル(英語版)(チュニジア)[18]
アルゼンチン
GK18ネリー・プンピード
DF5ホセ・ルイス・ブラウン
DF9ホセ・ルイス・クシューフォ
DF19オスカル・ルジェリ
MF2セルヒオ・バティスタ 60分
MF7ホルヘ・ブルチャガ 75分
MF10ディエゴ・マラドーナ
MF12エクトル・エンリケ
MF14リカルド・ジュスティ
MF16フリオ・オラルティコエチェア
FW11ホルヘ・バルダーノ