1986年のF1世界選手権
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1986年のFIAフォーミュラ1
世界選手権
前年:1985翌年:1987
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1986年のF1世界選手権は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第37回大会である。1986年3月23日ブラジルで開幕し、10月26日オーストラリアで開催される最終戦まで、全16戦で争われた。
目次

1 シーズン概要

2 開催地及び勝者

3 エントリーリスト

3.1 ドライバー変更

3.2 エンジン変更


4 1986年のドライバーズランキング

5 1986年のコンストラクターズランキング

6 脚注

7 外部リンク

シーズン概要

レギュレーションで自然吸気エンジンの使用が禁止され、ターボエンジンは最大搭載燃料が220Lから195Lへ減らされた。レースでは燃費の計算がよりシビアになり、ゴール間近にガス欠でスローダウンする光景がしばしば見られる様になった。

ドライバーズチャンピオン争いはアラン・プロストネルソン・ピケというチャンピオン経験者に、前年初優勝したアイルトン・セナナイジェル・マンセルが加わった。この「四強」が1980年代後半から1990年代かけてのF1シーンの主役となる。

ロータスルノーのセナはこの年も最多の8ポールポジションを獲得し、前半戦のタイトル争いをリードした。スペインGPではマンセルとの0.014秒差という大接戦を制し、東欧初開催のハンガリーGPでは先輩ピケと熾烈なバトルを展開した。

前年王者のアラン・プロストはレース巧者振りを発揮しポイントを積み重ねた。モナコGPでは「モナコ・マイスター」と呼ばれたグラハム・ヒル以来の3連覇を達成した。

ウィリアムズホンダはチーム代表のフランク・ウィリアムズが開幕前に交通事故で重傷を負い、車椅子で陣頭指揮をとる。ホンダエンジンのパワーを武器に第5戦から10戦中8勝を記録。ピケとマンセルは公私共にライバル意識をぶつけあった。両者の得点により45点という大差でコンストラクターズタイトルをものにし、以後ホンダは1991年まで6年連続チャンピオン獲得エンジンとなる。

最終戦を迎え、ポイントはマンセル72点(有効得点70点)、プロスト65点(有効得点64点)、ピケ63点。最多の5勝を挙げたマンセルは3位以上でゴールすれば自力でチャンピオンとなれたが、3位走行中に後輪がバーストしリタイア。プロストがピケの追撃を凌ぎ、優勝で逆転チャンピオンに輝いた。タイトル連覇は1959年・1960年のジャック・ブラバム以来となる。

トールマンを買収して発足したベネトンは原色のカラーリングが話題を集めただけでなく、BMWエンジンのパワーとピレリタイヤの特性を活かし、高速コースで1勝2ポールポジションを記録。メキシコGPで初優勝を遂げたゲルハルト・ベルガーは、フェラーリへの抜擢が決まった。

この年デビューした有力選手はアレッサンドロ・ナニーニアレックス・カフィ。大ベテランジャック・ラフィットイギリスGPでグラハム・ヒルのもつ最多出走記録176戦に並んだが、スタート時の事故による負傷で引退し、記録更新はならなかった。


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