1985-1986シーズンのNBA
ボストン・セルティックス
期間1985年10月25日-1986年6月8日
TV 放送CBS, TBS
観客動員数11,214,888人
サラリーキャップ420万ドル
平均サラリー38.2万ドル
ドラフト
レギュラーシーズン
トップシードボストン・セルティックス
MVPラリー・バード
スタッツリーダー
得点ドミニク・ウィルキンス
チーム平均得点110.2得点
プレーオフ
.mw-parser-output .monospaced{font-family:monospace,monospace} イースタン 優勝ボストン・セルティックス
ミルウォーキー・バックス
ファイナル
チャンピオン ボストン・セルティックス
ファイナルMVPラリー・バード
<1984-851986-87>
1985-1986シーズンのNBAは、NBAの40回目のシーズンである。 当時ドラフト全体1位指名権は各カンファレンスの最下位チーム同士によるコインリップで決められ、以下の順位は下位チーム順に決められていた。しかし低迷中のチームの中に故意に負けることで高順位指名権を得ようとする動きが頻発し、特にヒューストン・ロケッツはあからさまに負け続け、2年連続で1位指名権を獲得していた。そして前季のアキーム・オラジュワンに続き、この年のドラフト候補生にもパトリック・ユーイングという逸材が居た為、彼の獲得を狙うチームの間でまたもや敗北合戦が繰り広げられた。事態を憂慮した協会はこの年からコインリップ制を廃止し、プレーオフ不出場チームによる抽選(ロッタリー)で指名順を決めるロッタリー制導入に踏み切った。 ロッタリー制が導入された最初のドラフトである1985年のNBAドラフトでは、プレーオフ不出場の7チームによって抽選が行われた。前季のリーグ最下位チームはゴールデンステート・ウォリアーズだったが、ユーイングを指名できる権利を獲得した幸運のチームはワースト3位のニューヨーク・ニックスだった。ウォリアーズは7位指名権だった。ユーイングという逸材が人気チームのニックスに入団する結果となったため、この抽選は仕組まれたものという逸話も生まれた。 1984年のNBAドラフトに引き続き、この年も豊作のドラフトとなった。ユーイングのほか、13位指名を受けてユタ・ジャズに入団したカール・マローン、18位指名を受けてデトロイト・ピストンズに入団したジョー・デュマースは1990年代を代表する選手となった。ほか、ウェイマン・ティスデイル、ベノイト・ベンジャミン
シーズン前
ロッタリー制の導入
またこの年のドラフトからNBAにも国際化の兆しが見え始めた。これまでNBAでプレイした海外出身選手の多くはカナダやラテンアメリカ出身の選手だったが、この年のドラフトではヨーロッパ出身の選手が2巡目以内に3人が指名を受けている。特に西ドイツ出身のデトレフ・シュレンプは、ヨーロッパ出身NBA選手の草分け的存在となった。また、アルヴィーダス・サボニスが一度目の指名を受けている。
オールスターにはP・ユーイング、X・マクダニエル、C・マリン、D・シュレンプ、C・オークリー、K・マローン、J・デュマース、A・C・グリーン、T・ポーター、M・アダムスの10人が選ばれている。
その他
ミズーリ州カンザスシティに本拠地を置いていたカンザスシティ・キングスは、カリフォルニア州サクラメントに本拠地を移し、サクラメント・キングスと改称した。