1985年の阪神タイガース
成績
日本一
日本S4勝2敗(対西武)
セントラル・リーグ優勝
74勝49敗7分 勝率.602[1]
本拠地
都市兵庫県西宮市
球場阪神甲子園球場
球団組織
オーナー久万俊二郎[2]
経営母体阪神電気鉄道
監督吉田義男[3]
選手会長岡田彰布[4]
スローガン
3F(フレッシュ、ファイト、フォア・ザ・チーム)[5]
≪ 19841986 ≫
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1985年の阪神タイガースでは、阪神タイガースの1985年シーズンの動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、2回目の吉田義男監督体制の1年目(通算4年目)のシーズンであり、1964年以来、21年ぶり7度目のセントラル・リーグ(セ・リーグ)優勝と、1リーグ時代から約38年ぶり、2リーグ制になってから初となる日本一を達成したシーズンである。 前年の1984年9月14日、監督であった安藤統男の続投が発表された[6]。しかし同年10月3日との対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤ球場[7])の試合前に、阪神の掛布雅之と中日の宇野勝の本塁打数が共にリーグトップの37本であったことから、安藤は中日の監督であった山内一弘に勝負するのかを問うと、山内は掛布を敬遠すると返答する[7]。そして3日は掛布と宇野の両者とも全打席敬遠となった[8][注 1]。そしてシーズン最終戦となった5日の対中日戦(甲子園球場[7])においても両者ともに全打席敬遠となって結果的に本塁打王を分け合う形となった[9]。この四球合戦にファンはブーイングを飛ばし、球団事務所には抗議の電話が殺到し、マスコミも批判した[9][注 2]。さらに阪神のオーナーであった田中隆造も難色を示していたことを聞いた安藤は、8日の納会で辞任の意向を伝えた[11][注 3]。そして3日後に球団から正式に安藤の辞任が発表された[13]。 球団は監督として通算8回の優勝経験を持つ西本幸雄[注 4]に次期監督の要請をするが、当時64歳の西本は高齢を理由に要請を断った[15]。次に名前が挙がったのは吉田義男と村山実の二人であったが、西本が吉田を推薦したことで最終的に吉田が阪神タイガースの第23代監督に就任した[16]。吉田にとっては8年ぶりの監督復帰となった[2][注 5]。コーチ陣はヘッドコーチが土井淳、投手コーチが米田哲也と高橋重行、打撃コーチが並木輝男と竹之内雅史、守備走塁コーチが一枝修平となった[18]。
シーズン開幕まで
監督・安藤統男の辞任
第2次吉田義男政権の誕生