1985年の近鉄バファローズ
成績
パシフィック・リーグ3位
63勝60敗7分 勝率.512[1]
本拠地
都市大阪府藤井寺市
球場藤井寺球場
球団組織
オーナー佐伯勇
経営母体近畿日本鉄道
監督岡本伊三美
≪ 19841986 ≫
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1985年の近鉄バファローズ(1985ねんのきんてつバファローズ)では、1985年の近鉄バファローズにおける動向をまとめる。
1985年の近鉄バファローズは、岡本伊三美監督の2年目のシーズンである。 岡本監督就任2年目のチームはアメリカからバンボ・リベラ(バンボ)が入団し、また2年目の村上隆行がショートのポジションを獲得するなど若手への切り替えが加速。開幕からチームは投手陣の不調をバンボなど打撃陣がカバーする形で4月を11勝5敗の首位で終えるが、5月以降は西武が首位の座を奪うと阪急やロッテとの2位争いが終盤まで続いた。そんな中20年目のベテラン鈴木啓示は開幕から投げるたびにKOされ、7月9日の日本ハム戦でKOされるとその日のうちに「投げたらアカンの気持ちでやってきたが、体力も気力も衰えた」としてシーズン途中で引退するハプニング。鈴木が引退したこともあり投手陣はそれまで2軍でくすぶっていた石本貴昭が鈴木康二朗とダブルストッパーで活躍するなど明るい話題もあったがもう一人のベテラン・村田辰美がローテを守った以外は先発陣が崩壊し、チーム防御率が5.10で最下位。打撃陣では2年目のリチャード・デービスはこの年も4番として奮闘したがベテラン選手が衰えたこともあり、結局チームは3位でシーズンを終えた。オフには平野光泰が現役引退、有田修三が巨人へトレードで移籍し、チームは世代交代期に突入した。 開幕オーダー1二大石大二郎 1985年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績 1985年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝敗分勝率差 [1]
概要
チーム成績
レギュラーシーズン
2左栗橋茂
3右バンボ
4一デービス
5指加藤英司
6三羽田耕一
7遊村上隆行
8捕有田修三
9中平野光泰
投鈴木啓示
1位近鉄--西武--西武--西武--西武--西武--西武--
2位西武0.5近鉄6.0阪急6.0近鉄9.5近鉄12.0近鉄15.0ロッテ15.0
3位南海3.0ロッテ近鉄8.0阪急10.5阪急14.5阪急17.0近鉄15.5
4位阪急3.5南海9.5ロッテロッテ12.5ロッテ17.5ロッテ17.5阪急15.5
5位ロッテ3.5阪急10.5南海13.0南海18.0日本ハム19.5日本ハム21.5日本ハム23.0
6位日本ハム7.5日本ハム13.0日本ハム16.0日本ハム18.5南海26.5南海28.0南海33.0
期間
成績11勝5敗1分
勝率.6889勝12敗1分
勝率.4297勝9敗1分
勝率.4388勝5敗2分
勝率.61514勝12敗
勝率.5387勝10敗2分
勝率.4127勝7敗
勝率.500
1位西武ライオンズ79456.637優勝
2位ロッテオリオンズ64606.51615.0
3位近鉄バファローズ
4位阪急ブレーブス64615.512015.5
5位日本ハムファイターズ536512.44923.0
6位南海ホークス447610.36733.0
個人成績
投手成績
色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
太字はリーグ最高
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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