1985年の日本ハムファイターズ
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1985年の日本ハムファイターズ
成績
パシフィック・リーグ5位
53勝65敗12分 勝率.449
[1]
本拠地
都市東京都文京区
球場後楽園球場
球団組織
オーナー大社義規
経営母体日本ハム
監督高田繁
≪ 19841986 ≫

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1985年の日本ハムファイターズ(1985ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1985年の日本ハムファイターズにおける動向をまとめる。

このシーズンの日本ハムファイターズは、高田繁監督の1年目のシーズンである。
概要

前年、大沢啓二球団常務の推薦で就任した植村義信監督で失敗し、新たに高田繁が監督に招聘して再スタートを切ったが、高田は元巨人のスター選手とはいえ、ポスターやイヤーブックの表紙に高田を起用するほどスター選手不在のチームは、開幕戦白星の後8連敗を喫し最下位に転落した。前年、打率リーグ最下位の柏原純一はこの年も不振が続き、5月以降はスタメンを津末英明に明け渡し、また前年打率2位のトミー・クルーズも膝の不調から5月中旬に二軍落ちを経験するなど1981年のV戦士は精彩を欠いていた。柏原に代わり6月から4番に座った古屋英夫の奮闘でチーム本塁打は169本と3位ながらもチーム打率は5位だった。一方で、投手陣も移籍2年目の柴田保光が自身初の2桁となる11勝を挙げ、開幕投手に起用された2年目の津野浩や、6月9日にノーヒットノーランを達成した田中幸雄、1年目から8勝を挙げた河野博文などが台頭し、チーム防御率は4.36と優勝した西武に次ぐ2位で勝率.449ながら総得点が総失点を上回り、プロ野球史上最低勝率での達成となった。後半戦に入り、初めて最下位から脱出したチームは8月を13勝8敗と勝ち越して最下位南海を引き離し、辛うじて5位を確保した。シーズン終了後、ディフェンス野球を掲げる高田監督の構想から外れた柏原が金銭トレードで阪神へ、3年目以降振るわなかった木田勇大洋へそれぞれ放出され、3年連続で3割をマークしたクルーズも契約延長はなく、チームを去っていった。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー[2]1中島田誠
2遊高代延博
3右パターソン
4一柏原純一
5指クルーズ
6三古屋英夫
7左岡持和彦
8捕田村藤夫
9二岩井隆之
投手津野浩

1985年パシフィック・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位近鉄--西武--西武--西武--西武--西武--西武--
2位西武0.5近鉄6.0阪急6.0近鉄9.5近鉄12.0近鉄15.0ロッテ15.0
3位南海3.0ロッテ近鉄8.0阪急10.5阪急14.5阪急17.0近鉄15.5
4位阪急3.5南海9.5ロッテロッテ12.5ロッテ17.5ロッテ17.5阪急15.5
5位ロッテ3.5阪急10.5南海13.0南海18.0日本ハム19.5日本ハム21.5日本ハム23.0
6位日本ハム7.5日本ハム13.0日本ハム16.0日本ハム18.5南海26.5南海28.0南海33.0
期間
成績3勝12敗
勝率.2009勝11敗2分
勝率.4507勝11敗
勝率.3899勝8敗1分
勝率.52913勝8敗3分
勝率.6196勝7敗4分
勝率.4626勝8敗2分
勝率.429

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1985年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
1位西武ライオンズ79456.637優勝
2位ロッテオリオンズ64606.51615.0
3位近鉄バファローズ63607.512215.5
4位阪急ブレーブス64615.512015.5
5位日本ハムファイターズ536512.44923.0
6位南海ホークス447610.36733.0

個人成績
投手成績

色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手

太字はリーグ最高

選手













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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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