1985年の日本シリーズ
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1985年の日本シリーズ
ゲームデータ
日本一
阪神タイガース
初優勝
4勝2敗
試合日程1985年10月26日-11月2日
最高殊勲選手ランディ・バース
敢闘賞選手石毛宏典
チームデータ
阪神タイガース()
監督吉田義男
シーズン成績74勝49敗7分(シーズン1位) 
西武ライオンズ()
監督広岡達朗
シーズン成績79勝45敗6分(シーズン1位)
日本シリーズ ≪ 1984 1986 ≫
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1985年の日本シリーズ(1985ねんのにっぽんシリーズ、1985ねんのにほんシリーズ)は、1985年10月26日から11月2日まで行われたセ・リーグ優勝チームの阪神タイガースと、パ・リーグ優勝チームの西武ライオンズによる第36回プロ野球日本選手権シリーズである。
概要

阪神タイガースと西武ライオンズの組み合わせは西武の前身球団(西鉄太平洋クラブクラウンライター)時代を含め日本シリーズ史上初となった。

1983年以来2年ぶり3度目(西鉄時代を除く)の出場となる広岡達朗監督率いる西武ライオンズと1964年以来21年ぶり3度目の出場となった吉田義男監督率いる阪神タイガースの対決となり、阪神が4勝2敗で1リーグ時代の1947年以来からでの約38年ぶりにして2リーグ制初の日本一を達成した。

打撃三冠王ランディ・バースを先頭に真弓明信掛布雅之岡田彰布らの猛打でペナントを勝ち取った阪神と、「管理野球」を標榜し、この年防御率1位の工藤公康を始め東尾修松沼博久高橋直樹渡辺久信投手陣を擁する西武との対決でもあった[1]

この年から日本シリーズにも指名打者制を採用することになり、阪神は弘田澄男を6試合とも打順を2番で起用した。なお、このときは指名打者制を隔年で採用することとなっていたが、全試合不採用だった翌1986年の日本シリーズを経て、1987年以降はパ・リーグ主催試合のみ毎年採用する方式に変更された。このため、初めて指名打者が全試合で採用された日本シリーズであり、2020年の日本シリーズ[2]まで唯一の事例であった。

吉田は「西武は2位ロッテに15ゲーム差をつけて、優勝したがこのシーズンに限っては雑な野球だった。第3戦目の前に広岡監督がフロントの不満を言いだして、『俺はもう、終わりだ』と言ってました」[3]と回顧している。西武関係者も、当時の一軍総合コーチだった黒江透修が、広岡は「シーズン中から『俺は辞めるぞ』というオーラを出していた」「チームの実力からいけば負けようがなかったんだけど、やっぱりシリーズを戦うような感じではなかった」と語り、また投手として出場した森繁和も「リーグ優勝決めた時も(痛風で休養していた広岡の)代行の黒江さんが胴上げされていたし、もうやる気がなかった」、日本シリーズで自身が登板し抑えてベンチに戻った際も「ベンチは広岡さんに勝つ気がないのがわかっちゃって、明らかにやる気をなくしていました」と述懐している[4]。結果的に西武は、西鉄時代を通じて7度目の日本シリーズ出場にして初めて、本拠地で開催された試合で1勝も出来ずに終わった。

なお、当該シリーズは、西武鉄道阪神電気鉄道のイメージから「鉄道シリーズ」ともてはやされたが、当時の西武ライオンズの親会社は[国土計画(デベロッパー


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