1985年の広島東洋カープ
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1985年の広島東洋カープ
成績
セントラル・リーグ2位
68勝57敗5分 勝率.544
[1]
本拠地
都市広島県広島市中区
球場広島市民球場

球団組織
オーナー松田耕平
経営母体松田家(マツダ創業者一族)
監督古葉竹識
キャッチフレーズ
CHALLENGE TO FRESH BASEBALL
≪ 19841986 ≫

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1985年の広島東洋カープ(1985ねんのひろしまとうようカープ)では、1985年の広島東洋カープにおける動向をまとめる。

1985年の広島東洋カープは、古葉竹識監督の11年目のシーズンである。
概要

前年4年ぶりの優勝と日本一を達成し、5年ぶりのリーグ連覇を目指すチームだがエース山根和夫が右肩痛でシーズンを棒に振るアクシデント。小林誠二が右肘痛、津田恒美が血行障害で右肩違和感と、投手陣に故障者が続出した[2]山本浩二も故障で開幕に間に合わず、5月5日の大洋戦からの出場となった[3]。また逆転負けする試合などが多く4月は7勝6敗の貯金1で波に乗れず、5月は11勝12敗で負け越しと五分の試合が続いた。夏場の2か月で24勝8敗と大きく勝ち越し、阪神巨人に代わり首位に浮上。後半戦も8月前半までは勝ち越したものの7連敗で躓くと、9月には6勝11敗と大きく負け越し阪神に優勝マジックが点灯。大勢が決した10月に復調するものの時すでに遅く、10月16日に阪神のリーグ優勝が決まった。強力打線を誇るこの年の阪神に広島は最後まで食い下がっており、対阪神成績は15勝11敗とリーグで唯一の勝ち越しであった。シーズン終了後1975年の初優勝から11年指揮をとった古葉監督が勇退し後任には阿南準郎コーチが昇格した。投手陣では北別府学(16勝6敗2セーブ、防御率3.57)、川口和久(9勝9敗、防御率4.39)、大野豊(10勝7敗2セーブ、防御率4.06)がローテーションを守り、また山根の穴を若手の川端順金石昭人高木宣宏などがカバーした。打撃陣は純血主義ながらも前年同様打ちまくり、高橋慶彦山崎隆造の1・2番コンビも健在だった。達川光男(95試合出場)と山中潔(90試合出場)の激しい正捕手争いが繰り広げられた。シーズン終了後、池谷公二郎が古葉監督の勇退とともに現役を引退した。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー[4]1遊高橋慶彦
2右山崎隆造
3左長内孝
4三衣笠祥雄
5中長嶋清幸
6一小早川毅彦
7二木下富雄
8捕山中潔
9投大野豊

1985年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時[5]5月終了時[6]6月終了時[7]7月終了時[8]8月終了時[9]9月終了時[10]最終成績[11]
1位阪神--阪神--阪神--広島--阪神--阪神--阪神--
2位大洋1.5巨人0.5広島0.5阪神2.0巨人0.5広島7.5広島7.0
3位中日2.0広島4.0巨人2.5巨人3.0広島1.0巨人8.0巨人12.0
4位広島2.5中日大洋5.0大洋9.5中日9.5中日13.5大洋14.5
5位巨人4.5大洋4.5中日10.5中日11.0大洋11.0大洋15.0中日15.0
6位ヤクルト7.5ヤクルト11.0ヤクルト14.5ヤクルト19.5ヤクルト20.0ヤクルト22.0ヤクルト26.5
期間
成績7勝6敗
勝率.53811勝12敗
勝率.47813勝3敗1分
勝率.81311勝5敗1分
勝率.68810勝14敗2分
勝率.4176勝11敗1分
勝率.35310勝6敗
勝率.625


1985年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
1位阪神タイガース74497.602優勝
2位広島東洋カープ68575.5447.0
3位読売ジャイアンツ61609.50412.0
4位横浜大洋ホエールズ576112.48314.5
5位中日ドラゴンズ566113.47915.0
6位ヤクルトスワローズ467410.38326.5

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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