1985年の中日ドラゴンズ
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1985年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ5位
56勝61敗13分 勝率.479
[1]
本拠地
都市愛知県名古屋市
ナゴヤ球場

球団組織
オーナー加藤巳一郎
経営母体中日新聞社
監督山内一弘
選手会長鈴木孝政
≪ 19841986 ≫

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1985年の中日ドラゴンズ(1985ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1985年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、山内一弘監督の2年目のシーズンである。
概要

キャンプイン前に西武との間で田尾安志杉本正大石友好の交換トレードが発表され、大幅な成績低下が懸念された。西武へ移籍の田尾に代わりこの年から平野謙が1番打者となり、田尾の移籍で空いたライトのポジションにはそれまで代打の切り札だった川又米利が起用された。投手陣は前年13勝の都裕次郎が左肩痛で登板が減少し、小松辰雄郭源治鈴木孝政などが都をカバーしたがチーム防御率が前年の3.82から4.08へ低下した。打撃陣は川又や平野のほかにもこの年2000本安打達成の谷沢健一、4番の大島康徳、この年41本塁打の宇野勝が打ちまくったが、打線に前年程の安定感はなく本塁打は前年の191本から55本も減少し、136本でリーグ5位に転落。チームは5月までまずまずの成績を残したものの、5月25日から2分挟んで7連敗。その後も4連敗、5連敗と負けを重ねて6月に借金10でBクラスに定着すると、7月からは近藤貞雄前監督率いる大洋との4位争いに終始。終盤は負けの込んだ巨人とのゲーム差を縮めるが、連勝・連敗の波が激しく大洋との4位争いに敗れて5位に終わった。対戦成績では巨人に11勝12敗3分で健闘したが、優勝の阪神と2位の広島には歯が立たず9勝16敗1分、9勝15敗2分と大きく負け越した。
レギュラーシーズン

開幕オーダー[2]1中平野謙
2右劔持節雄
3一谷沢健一
4左大島康徳
5三モッカ
6遊宇野勝
7捕中尾孝義
8二上川誠二
9投小松辰雄

1985年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時[3]5月終了時[4]6月終了時[5]7月終了時[6]8月終了時[7]9月終了時[8]最終成績[9]
1位阪神--阪神--阪神--広島--阪神--阪神--阪神--
2位大洋1.5巨人0.5広島0.5阪神2.0巨人0.5広島7.5広島7.0
3位中日2.0広島4.0巨人2.5巨人3.0広島1.0巨人8.0巨人12.0
4位広島2.5中日大洋5.0大洋9.5中日9.5中日13.5大洋14.5
5位巨人4.5大洋4.5中日10.5中日11.0大洋11.0大洋15.0中日15.0
6位ヤクルト7.5ヤクルト11.0ヤクルト14.5ヤクルト19.5ヤクルト20.0ヤクルト22.0ヤクルト26.5
期間
成績7勝5敗2分
勝率.5838勝10敗3分
勝率.4443勝13敗5分
勝率.1889勝6敗
勝率.60013勝11敗2分
勝率.5429勝9敗
勝率.5007勝7敗1分
勝率.500


1985年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
1位阪神タイガース74497.602優勝
2位広島東洋カープ68575.5447.0
3位読売ジャイアンツ61609.50412.0
4位横浜大洋ホエールズ576112.48314.5
5位中日ドラゴンズ566113.47915.0
6位ヤクルトスワローズ467410.38326.5

[1]
個人成績
投手成績

色付きは
規定投球回(130イニング)以上の選手

太字はリーグ最高

選手











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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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