『1984年』(英:Nineteen Eighty-four)は、アメリカの作曲家ロリン・マゼールによって作曲されたオペラである。ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を原作とし、台本をJ.D.マックラッチーとトーマス・ミーハン(英語版)が執筆した。
初演は2005年5月3日、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン)において、作曲者指揮、シルク・ドゥ・ソレイユの「トーテム」も手掛けたカナダ人演出家ロベール・ルパージュ(英語版)の演出により公演された。この公演はテレビ収録され、DVD化された。
作品のあらすじについては、1984年 (小説) を参照されたい。 この作品は、50年以上の長きに渡って指揮者としての活動を続けてきたマゼールが作曲した最初のオペラである。初演の時、彼は75歳であった[1]。この作品は、元々はバイエルン国立歌劇場監督、アウグスト・エファーディングの依頼によるものであった。マゼールは、初演前のインタビューで当時を回顧し、「私は、オペラを書くなんて考えた事もなかった。エファーディングが私を納得させるまでに時間がかかった」と述べている[2]。 作品の完成を見る事なく、エファーディングは死去した。このため、作曲が継続されない可能性があったが、マゼールはこの企画をロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスと、東京の新国立劇場に持ち込んだ。これは当初、ロイヤル・オペラ・ハウスと新国立劇場との共同製作ということとなったが、最終的に新国立劇場は宙に浮いたこの企画から手を引いた。その後、マゼールはロイヤル・オペラ・ハウスに対し、この作品の初演プロジェクトのために設立した会社「ビッグ・ブラザー・プロダクションズ」を通じて4万イギリス・ポンドの資金を支払った。これにより、ロイヤル・オペラ・ハウスは通常の新制作を行う半分、すなわち、標準的なレパートリーの再演と同程度のコストで初演を行うことが出来た。結果として、この作品は忘却の憂き目を免れたが、ロイヤル・オペラ・ハウスはマゼールの個人的虚栄心を満たすためのプロジェクトに公的資金である税金を投入することとなり、一部からは批判を受けた[3][4]。 ほとんどのオペラの慣例とは対照的に、この作品の主人公ウィンストンはバリトンが務める。 コヴェント・ガーデンでの初演時のキャストは下記の通りである。
作曲の経緯
キャスト
ウィンストン・スミス:サイモン・キーンリーサイド(バリトン)
ジュリア:ナンシー・グスタフソン
オブライエン:リチャード・マージソン(英語版)(テノール)
ジムの女性教官/酔っぱらった女:ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)
サイム:ローレンス・ブラウンリー(英語版)(テノール)
パーソンズ:ジェレミー・ホワイト(英語版) (バス)
キャリントン:グレアム・ダンビー(英語版) (バス)
プロレの女性:メアリー・ロイド=デイヴィス (メッゾ・ソプラノ)
カフェの歌手:ジョニー・フィオリ (ヴォーカル)
パブ・カルテット:ザ・デーモン・バーバーズ(英語版) (バンド)
マゼールはこの作品において合唱にきわめて重要な役を与えている。冒頭の『二分間憎悪』の集会での合唱、それに引き続いて歌われる『オセアニア国国歌』などがある[5]。
テレスクリーンの音声は、初演時はジェレミー・アイアンズが担当。児童合唱は、ニュー・ロンドン児童合唱団が担当した。
制作チーム
演出:ロベール・ルパージュ(英語版)
美術:カール・フィリオン
衣装:ヤスミナ・ジゲール
照明:ミシェル・ボリュー
振付:シルヴァン・エマール
演出助手:ニールソン・ヴィニョラ
映像デザイナー:ジャック・コラン