1984年のル・マン24時間レース
[Wikipedia|▼Menu]

1984年のル・マン24時間レース
前年:1983翌年:1985
1984年のコース

1984年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1984 )は、52回目のル・マン24時間レースであり、1984年6月16日[1]から6月17日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。

ポスターの図柄にはランチア・LC2が使われた[2]
目次

1 概要

1.1 グループC1

1.2 グループC2

1.3 IMSA GTP


2 予選

3 決勝

4 結果

5 注釈

6 出典

7 参考文献

概要

この年、ポルシェのワークスは欠場した。理由としては

ポルシェがあまりに強すぎて対抗馬が現れなかったため自主的に辞退した[1]という説。ただしこの説では1985年以降復帰したことの説明ができない。

ポルシェがあまりに強すぎてポルシェを持たないチームが出走を回避する可能性があり、出走台数を確保するためACOがIMSAに相談し、グループCと規定が似ているIMSA GTP規定の車両を4台出走させることとなった。しかしIMSA GTPは燃料タンクが120リットルだったので、これまでの「給油25回」との規定を撤廃しそのかわり「燃料総使用量2210リットル」とした。しかしこのルールではピットインが少なくて済むIMSA GTPに非常に有利であったため抗議の目的で欠場した[2]という説。

1983年に国際自動車スポーツ連盟はグループCの燃費制限をさらに厳しくすると発表し、これを受けてポルシェは電子制御式のフューエルインジェクションシステムを導入してエンジンの効率を大幅に向上させた[3]。しかし1984年3月、国際自動車スポーツ連盟のジャン=マリー・バレストルから「1984年限りで燃費制限を撤廃する」というグループCの規定を根底から覆すような発表があり、ポルシェは世界選手権への参加を検討していたメルセデス・ベンツと相談の上で抗議の目的で欠場した[4]という説。

と色々な説がある。ワークス参加はランチアのみとなり寂しいレースとなったが、それでも参加台数54台を数えた[2]

グループCはグループC1に、グループCジュニアはグループC2に改名された。
グループC1

唯一のワークス参加となったランチアは汚名返上を狙い、ダウンフォースを大きくするためボディ下部を改良[1]するとともにフェラーリV型8気筒エンジンも出力と燃費の両面から改良[1]されたランチア・LC2/84を3台[1]持ち込み、ポルシェ・956を使用するプライベーターチームとの対決が注目された。

ポルシェ・956の出場は16台を数えた[1]。この時点でカスタマースペックもボッシュ製モトロニックMP1.2を装備する935/82型エンジンを装備するポルシェ・956Bになっていた[4]が、現場での細かいセッティングができないモトロニックMP1.2に不満を感じたチームもあり、例えばヨースト・レーシングは独自のルートでMP1.2をセッティングしかなりの燃費改善に成功[4]、またシリンダー構造がモジュラーになっていることに注目し特注ピストンを使用して3.0リットルエンジンを製作するなど本体側の改良も進め[4][注釈 1]、新規購入したシャシ番号956-117に積み、7号車として出場させた[4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:161 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef