1983年の映画
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4月11日 -『ガンジー』(リチャード・アッテンボロー監督)が第55回アカデミー賞作品賞を受賞[8]第54回の『炎のランナー』(ヒュー・ハドソン監督)に続き[9]、イギリス映画の連続受賞[2]

5月18日 - 第36回カンヌ映画祭で東映『楢山節考』(今村昌平監督)がグランプリ(最高賞)受賞[10][注 4]。『戦場のメリークリスマス』敗れる[2]

7月7日 - 『まんが イソップ物語』(演出:ひこねのりお)、第13回モスクワ国際映画祭ピオニール賞受賞[11]

7月21日 - 第13回モスクワ映画祭、『ふるさと』(神山征二郎監督)で加藤嘉が日本人初の主演男優賞受賞[10]

7月29日

英国、俳優デヴィッド・ニーヴン死去[3][12]

スペイン出身のルイス・ブニュエル監督死去[3][13]


8月28日 - 第7回モントリオール映画祭、『未完の対局』(佐藤純彌・段吉順監督)がグランプリ受賞[10]田中裕子が『天城越え』(三村晴彦監督)で主演女優賞受賞[10]

8月30日 - 『陽暉楼』(五社英雄監督)、米国ニューヨークで試写会を開催し、大盛況(31日まで)[14]

10月19日 - ポルトガルで第1回映画監督国際会議[10]

11月19日 - 台北で開催された第28回アジア太平洋映画祭で『細雪』(市川崑監督)がグランプリ (作品賞)、監督賞、美術賞(村木忍)を受賞[15][矛盾アジア太平洋映画祭]。

12月5日 - 米国、ロバート・アルドリッチ監督死去[3][16]

日本「1983年の日本#できごと」も参照

フジサンケイグループの『南極物語』(蔵原惟繕監督)、貸ビル業丸源の『地平線』(新藤兼人監督)など映画産業以外の企業の映画界への進出が活発[3]

邦画各社のビデオ部門が利益を生み出すようになり、本格的なビデオ時代到来[3]

1月

東宝、昭和57年度映画営業部門の年間配収が3年連続で年間100億円の大台をクリア[10]

1月6日 - CIC配給『E.T.』(スティーヴン・スピルバーグ監督)が配収51億5600万円を超え、同監督作『ジョーズ』の持つ日本国内配収記録を更新[17]


2月

2月28日 - 松竹男はつらいよ』(山田洋次監督)シリーズが世界最長シリーズ、主演の渥美清が最長シリーズ俳優としてギネスブックに認定[10]


3月

3月1日 - UA日本支社業務停止[10]

3月19日 - 東映動画ウエスト・ケープ・コーポレーションと提携製作した長編動画『宇宙戦艦ヤマト 完結編』(監督:西崎義展ほか)公開、ヒット[11]

3月24日 - 第1回川喜多賞ドナルド・リチーが受賞[10]

3月27日 - 英女優オードリー・ヘプバーン初来日[10]

3月31日

片岡千恵蔵(俳優、東映取締役、79歳)死去[14]。4月15日、東映京都撮影所第1ステージで社葬を実施[14]

消防庁が劇場、デパート、ホテルなどの防火設備の「適マーク通知」制度を決定[10]



4月

日本ビデオ協会、ビデオソフトの個人向けレンタルシステム運用開始[10]

日本ビクターVHDディスクプレーヤーとソフト200タイトル発売[10]

4月1日

大映映画が大映に改称し新発足、映連に加盟[10]

富士映画が松竹富士に改称[10]
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