1983年ポルトガル議会選挙(1983ねんぽるとがるぎかいせんきょ、ポルトガル語:Eleicoes legislativas portuguesas de 1983)は、ポルトガル共和国の立法府である共和国議会(Assembleia da Republica)を構成する議員を選出するため、1983年4月25日に行われた選挙である。 1980年12月に飛行機事故で死亡したサ・カルネイロ首相の跡を継いで1981年1月に発足したフランシスコ・ピント・バルセマン
目次
1 概要
2 選挙制度
3 選挙結果
4 脚注
5 参考文献
概要
選挙制度
議会定数:250議席
選挙制度[2]:比例代表制(拘束名簿式)
有権者は政党に投票
選挙区毎にドント式で各政党に比例配分
議席阻止条項は無し
選挙区[3]:22選挙区
ポルトガル本土:18選挙区
アゾレス諸島:1選挙区
マデイラ諸島:1選挙区
国外欧州内選挙区:1選挙区
国外欧州外選挙区:1選挙区
有権者:選挙権と被選挙権は共に18歳以上のポルトガル国民
選挙結果
投票日:1983年4月25日
有権者数:7,337,064名
党派別の得票と議席数党派及び候補者連合得票数得票率[4]議席数
社会党(PS)2,061,30936.11101
社会民主党(PPD/PSD)1,554,80427.2475
統一人民同盟(APU)1,031,60918.0744
民主社会中道(CDS)716,70512.5630
その他の政党196,4123.440
全政党合計5,561,169250
白票42,4940.74
無効票104,2761.83
全政党合計+白票+無効票5,707,695
投票率:77.79%
出典
⇒Resultados Eleitados Assembleia da Republica 25/04/1983 CNE
⇒Assembleia da Republica - 25/04/1983 CNE
注:統一人民同盟は、ポルトガル共産党(PCP)とポルトガル民主運動(MDP)による選挙連合の名称である。
選挙の結果、PSが第一党となったが、過半数を確保するには至らなかった。そのため、第2党に後退したPSDと政策協定を結び、6月6日にマリオ・ソアレスを首班とする連立政権が発足した。左派勢力の勝因としては、前回ADに結集した中道右派政党の足並みが乱れ、各党単独で選挙に臨んだことに加え、中道右派政権における経済失政に対する国民の不満が強かったことを指摘されている。
脚注^ 社会民主党と民主社会中道党、人民君主党で構成された政党連合
^ 国立国会図書館政治議会課憲法室 三輪和宏 「 ⇒諸外国の下院の選挙制度?資料?」(PDF)国立国会図書館
^ CLAIR REPORT No274『 ⇒ポルトガルの地方自治』(PDF)自治体国際化協会。4?5頁
^ 各政党の得票率は有効得票と白票・無効票を合計したものを100として計算したものである。
参考文献
⇒CNE Comissao Nacional de Eleicoes(国民選挙委員会)
⇒CNE Resultados Elecitorais(国民選挙委員会選挙リサーチ)?ポルトガル第三共和政下で行われた国政と地方選挙の詳細な選挙結果が閲覧できる。
共同通信社『世界年鑑 1984』
馬場康雄・平島健司編『ヨーロッパ政治ハンドブック』東京大学出版会
表
話
編
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