1983年の阪神タイガース
[Wikipedia|▼Menu]

1983年の阪神タイガース
成績
セントラルリーグ4位
62勝63敗5分 勝率.496
[1]
本拠地
都市兵庫県西宮市
球場阪神甲子園球場

球団組織
オーナー田中隆造
経営母体阪神電気鉄道
監督安藤統男
選手会長掛布雅之
≪ 19821984 ≫

テンプレートを表示

1983年の阪神タイガースでは、1983年の阪神タイガースの動向をまとめる。

この年の阪神タイガースは、安藤統男監督の2年目のシーズンである。
概要

安藤監督の1年目を3位で終えたチームはアメリカからランディ・バースを、また大洋から2番手エースの野村収をトレードでそれぞれ獲得するなど開幕前はAクラス候補にあげられた(19年ぶりの優勝を期待する解説者もいた)。前評判の高いチームは4月を首位の巨人から3.5ゲーム差の2位で終えるが、5月の10勝15敗、6月の8勝14敗1分でBクラスに転落。夏場以降盛り返すものの、7月10日対広島戦で岡田彰布が試合中のケガで離脱するなど5割前後での苦しい戦いが続き、最後は大洋とのAクラス争いに敗れて4位となった。投手陣ではエース工藤一彦小林繁が13勝をあげ移籍1年目の野村も12勝をあげて復活するなどベテランが活躍し、リリーフは守護神の山本和行をはじめ、池内豊福間納が活躍するもののチーム防御率は4.22で4点台に転落。苦しい投手事情から福間は69試合に登板して規定投球回に到達し、最優秀防御率を獲得した[2]。打撃陣はバースが5月まで不振だったものの、日本の野球に慣れた6月から打棒が爆発しチームトップの35本塁打を記録。真弓明信が遊撃手から二塁手へポジションを転々としつつも首位打者に輝き、掛布雅之佐野仙好なども例年通りの活躍を見せ、チーム打率.274はリーグ2位、本塁打は169本で1位、打点も573点で3位と健闘し、岡田の穴をバースが埋めた。岡田離脱後は平田勝男が遊撃手レギュラーとなり、守備で存在感を示した。シーズン終了後、小林が31歳の若さで引退した。投手層の補強が急務となり、ドラフトでは上位4名に投手を指名した。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1遊真弓明信
2右北村照文
3左佐野仙好
4三掛布雅之
5二岡田彰布
6一藤田平
7中アレン
8捕笠間雄二
9投小林繁

1983年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位巨人--巨人--巨人--広島--巨人--巨人--巨人--
2位阪神3.5広島8.0広島5.0巨人0.5広島6.0広島7.5広島6.0
3位中日5.0阪神12.5ヤクルト12.5ヤクルト11.5中日12.5大洋15.0大洋11.0
4位広島5.5ヤクルト13.0中日14.0大洋12.5大洋13.0中日阪神11.5
5位ヤクルト大洋16.0大洋14.0阪神阪神14.0阪神15.5中日18.5
6位大洋7.5中日16.5阪神14.5中日14.0ヤクルト14.5ヤクルト19.0ヤクルト19.0


1983年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ72508.590優勝
2位広島東洋カープ655510.5426.0
3位横浜大洋ホエールズ61618.50011.0
4位阪神タイガース62635.49611.5
5位中日ドラゴンズ54697.43918.5
6位ヤクルトスワローズ53698.43419.0

オールスターゲーム1983詳細は「1983年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照



コーチ
安藤統男

ファン投票
選出なし

監督推薦
小林繁笠間雄二掛布雅之

入団・退団
シーズン開幕前

本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。


入団

選手名背番号前所属備考
投手
野村収14横浜大洋ホエールズ交換トレード
浜田知明50電電東海ドラフト5位
前田耕司54福井工業大学附属福井高ドラフト2位
田村浩一55九州産業高ドラフト3位
御子柴進56松本工業高ドラフト4位


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:72 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef