1983年の横浜大洋ホエールズ
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1983年の横浜大洋ホエールズ
成績
セントラル・リーグ3位
61勝61敗8分 勝率.500
[1]
本拠地
都市神奈川県横浜市
球場横浜スタジアム

球団組織
オーナー中部新次郎
経営母体大洋漁業
監督関根潤三
≪ 19821984 ≫

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1983年の横浜大洋ホエールズ(1983ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1983年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。

1983年の横浜大洋ホエールズは、関根潤三監督の2年目のシーズンである。
概要

関根監督2年目、前年の5位から巻き返しをはかるチームはロッテレオン・リー阪神加藤博一を交換トレードで獲得。さらに大リーガーのジム・トレーシーを加入させるなど、打線の強化を図った。投手陣ではエースの遠藤一彦平松政次金沢次男を軸に、守護神には斉藤明夫が控えるなど層が厚く、Aクラスに予想する解説者もいた。しかし、チームは巨人広島の首位争いに割って入れず、6月以降阪神や中日などとAクラスを争った。5月まで借金生活のチームは6月に5連勝、8月に4連勝するなど徐々に借金を減らしていき9月にヤクルト、10月に中日がそれぞれ脱落すると阪神とのAクラス争いとなったが最終的に引き分けの多い大洋が阪神を0.5ゲーム差で振り切り、4年ぶりにAクラス入りを果たした。投手陣はエース遠藤が18勝で最多勝を獲得し、2年目の金沢が10勝、200勝達成の平松も8勝を記録して先発陣が活躍し、斉藤も22セーブと守護神としてそれなりの成績を収めるも、中継ぎ陣が弱くチーム防御率4.52で最下位。打撃陣ではレオン・トレーシーの外国人コンビのほか、前年首位打者の長崎慶一やこの年レギュラー定着の高木豊屋鋪要、4番の田代富雄もそれなりの成績を残し、チーム打率.272はリーグ3位と健闘した。正捕手は、辻恭彦高浦美佐緒加藤俊夫の併用となり、8月以降は途中入団の若菜嘉晴も加わり、固定出来ずにシーズンを終えた。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1中加藤博一
2遊山下大輔
3右トレーシー
4三田代富雄
5一レオン
6二基満男
7左長崎慶一
8捕辻恭彦
9投遠藤一彦

1983年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位巨人--巨人--巨人--広島--巨人--巨人--巨人--
2位阪神3.5広島8.0広島5.0巨人0.5広島6.0広島7.5広島6.0
3位中日5.0阪神12.5ヤクルト12.5ヤクルト11.5中日12.5大洋15.0大洋11.0
4位広島5.5ヤクルト13.0中日14.0大洋12.5大洋13.0中日阪神11.5
5位ヤクルト大洋16.0大洋14.0阪神阪神14.0阪神15.5中日18.5
6位大洋7.5中日16.5阪神14.5中日14.0ヤクルト14.5ヤクルト19.0ヤクルト19.0


1983年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ72508.590優勝
2位広島東洋カープ655510.5426.0
3位横浜大洋ホエールズ61618.50011.0
4位阪神タイガース62635.49611.5
5位中日ドラゴンズ54697.43918.5
6位ヤクルトスワローズ53698.43419.0

[1]
オールスターゲーム1983詳細は「1983年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照

監督推薦
斉藤明夫高木豊
選手・スタッフ

 横浜大洋ホエールズ 1983
監督

71 関根潤三

一軍コーチ

73 近藤和彦(総合作戦)

70 池田英俊(投手)

76 小谷正勝(投手)

72 松原誠(打撃)

65 小森光生(守備走塁)

78 松岡功祐(守備走塁)

82 山本恒敬(バッテリー補佐)

75 田村武雄(ランニング兼寮長)

二軍監督・コーチ

59 山根俊英(監督)

60 稲川誠(投手)


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