1981年の阪神タイガース
成績
セントラルリーグ3位
67勝58敗5分 勝率.536[1]
本拠地
都市兵庫県西宮市
球場阪神甲子園球場
球団組織
オーナー田中隆造
経営母体阪神電気鉄道
監督中西太
選手会長小林繁
≪ 19801982 ≫
テンプレートを表示
1981年の阪神タイガースでは、1981年の阪神タイガースの動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、中西太監督の2年目のシーズン(途中就任の前年を含む)である。 前年の5位から巻き返しを図るものの、この年は巨人が5月から独走して阪神をはじめ他球団が追いかける展開。チームは6月以降成績が上向くものの2位から4位を行ったり来たりで、なかなか波に乗れなかった。8月26日の対ヤクルト戦で途中降板の江本孟紀が「ベンチがアホやから野球ができへん」と発言し、中西太監督の投手起用を痛烈に批判。江本はこの責任を取り、シーズン途中に引退した[2]。投手陣ではエースの小林繁や山本和行、ルーキーの中田良弘などがローテを守り、リリーフでは池内豊とこの年ロッテから移籍した福間納が中継ぎの柱として活躍したが抑え不在に泣かされた。打撃陣では前年ケガから復帰の藤田平や4番の掛布雅之が打線の中心となり、特にベテランの藤田は巨人の篠塚和典とのマッチレースを制して首位打者を獲得した。この他にも北村照文・吉竹春樹などといった若手が台頭し、5年ぶりのAクラスとなる3位で終了。シーズン終盤の10月11日、中西監督が成績不振の責任を取り辞任を表明した[3]。後任は広岡達朗招聘が不調に終わり、生え抜きの安藤統男が監督に抜擢された[4]。 開幕オーダー1右デード 1981年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時最終成績 1981年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝敗分勝率差 本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。 選手名背番号前所属備考
概要
チーム成績
レギュラーシーズン
2左加藤博一
3遊真弓明信
4三掛布雅之
5二岡田彰布
6中佐野仙好
7一オルト
8捕若菜嘉晴
9投小林繁
1位中日--巨人--巨人--巨人--巨人--巨人--
2位巨人1.5中日6.0ヤクルト7.5阪神9.0ヤクルト9.0広島6.0
3位広島6.0広島6.5阪神8.5ヤクルト12.0阪神11.5阪神8.0
4位ヤクルト8.0ヤクルト9.0広島9.0中日12.5広島12.5ヤクルト13.5
5位阪神8.0阪神10.0中日10.0広島12.5中日13.5中日16.0
6位大洋9.5大洋13.5大洋大洋17.0大洋22.5大洋31.5
1位読売ジャイアンツ73489.603優勝
2位広島東洋カープ67549.5546.0
3位阪神タイガース
4位ヤクルトスワローズ565816.49113.5
5位中日ドラゴンズ58657.47216.0
6位横浜大洋ホエールズ42808.34431.5
オールスターゲーム1981詳細は「1981年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票
若菜嘉晴岡田彰布真弓明信
監督推薦
小林繁掛布雅之藤田平
入団・退団
シーズン開幕前
入団
投手
中田良弘28日産自動車ドラフト1位
佐藤文男51近鉄バファローズ金銭トレード
山田和英58大阪商業大学ドラフト4位
石橋功行63島根・大田高ドラフト3位
森忠仁61千葉商業高ドラフト外
捕手
笠間雄二13阪急ブレーブス交換トレード
Size:68 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef