1981年の西武ライオンズ
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1981年の西武ライオンズ
成績
パシフィック・リーグ4位
年間4位:61勝61敗8分 勝率.500
後期5位:28勝33敗4分 勝率.459
前期2位:33勝28敗4分 勝率.541
本拠地
都市
埼玉県所沢市
西武ライオンズ球場

球団組織
オーナー堤義明
経営母体国土計画(コクド
監督根本陸夫
≪ 19801982 ≫

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1981年の西武ライオンズでは、1981年の西武ライオンズの動向をまとめる。

この年の西武ライオンズは、根本陸夫監督の4年目のシーズンである。
概要

前年スティーブ・オンティベロス田淵幸一ら打線の活躍で後期に優勝戦線に殴り込みをかけたチームはこの年も戦力補強を積極的に行い、石毛宏典杉本正秋山幸二などといった黄金時代の主力選手が相次いで入団。投手陣は13年目の東尾修、3年目の森繁和、そして松沼博久松沼雅之兄弟をはじめ、古沢憲司柴田保光が中継ぎで控えるなど層が厚く、打撃陣は石毛のほかにも現役大リーガーのテリー・ウィットフィールドが加わったことからチームは優勝が期待された。前期は日本ハムの不調をしり目にロッテ阪急と優勝を争い、2位で終了。後期は8月まで日本ハムと3ゲーム差の4位と健闘するが、9月以降は8連敗を喫して急降下。後期の優勝はならず、最終成績は61勝61敗8分で西鉄末期の1967年以来14年ぶりの勝率5割となった。投手陣はチーム防御率は3.62でリーグ1位、打撃陣はリーグ2位の143本塁打と打ちまくったが飛ぶボール使用禁止の影響で前年から本塁打が激減し、盗塁数も72個と最下位だった。西武の基礎が固まったこともあり、根本監督はこの年限りで勇退し1978年ヤクルトを日本一に導いた広岡達朗が新監督に就任した。シーズン終了後、かつての4番土井正博が根本監督の勇退とともに引退し、また古沢が翌年の途中に広島に移籍するなど、世代交代も加速していく。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1遊石毛宏典
2二山崎裕之
3三スティーブ
4指田淵幸一
5左テリー
6一土井正博
7右立花義家
8捕大石友好
9中岡村隆則
投手東尾修
1981年パシフィック・リーグ順位変動

前期順位4月終了時5月終了時前期成績
1位ロッテ--阪急--ロッテ--
2位西武1.5ロッテ0.5西武2.0
3位阪急2.5西武1.5阪急3.5
4位日本ハム5.0日本ハム4.0日本ハム4.5
5位南海5.5南海5.0南海6.0
6位近鉄6.5近鉄9.5近鉄11.0

後期順位7月終了時8月終了時後期成績
1位日本ハム--日本ハム--日本ハム--
2位ロッテ0.5阪急1.0阪急3.0
3位西武1.5ロッテ2.5ロッテ8.5
4位阪急3.0西武3.5近鉄9.5
5位南海5.0南海6.5西武9.5
6位近鉄近鉄7.5南海11.5

前期最終成績順位球団勝率
優勝ロッテオリオンズ35264.574---
2位西武ライオンズ33284.5412.0
3位阪急ブレーブス32303.5163.5
4位日本ハムファイターズ31313.5004.5
5位南海ホークス29324.4756.0
6位近鉄バファローズ25382.39711.0

後期最終成績順位球団勝率
優勝日本ハムファイターズ37235.617---
2位阪急ブレーブス36281.5633.0
3位ロッテオリオンズ28316.4758.5
4位近鉄バファローズ29342.4609.5
5位西武ライオンズ28334.4599.5
6位南海ホークス24338.42111.5


1981年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
優勝日本ハムファイターズ68548.557---
2位阪急ブレーブス68584.5402.0


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