1981年の横浜大洋ホエールズ
成績
セントラル・リーグ6位
42勝80敗8分 勝率.344[1]
本拠地
都市神奈川県横浜市
球場横浜スタジアム
球団組織
オーナー中部新次郎
経営母体大洋漁業
監督土井淳(9月24日まで)
山根俊英(9月25日以降)
≪ 19801982 ≫
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1981年の横浜大洋ホエールズ(1981ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1981年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
1981年の横浜大洋ホエールズは、土井淳監督の2年目のシーズンである。 前年4位から巻き返すべく、チームはアリゾナ州メサでキャンプを行うが、野球用具約64万円分が盗難に遭うアクシデントに見舞われる。広島との開幕カードが2試合とも雨で流れ、結果的に2年連続で巨人をホームに迎え開幕したが、その巨人相手に8連敗を喫し、チームは5月下旬に最下位に転落。6月に入ると、山下大輔が74打数32安打、月間打率.432と打ちまくり月間MVPを受賞、チームも12勝5敗と大きく勝ち越したが、7月に入ると中旬に7連敗、8月にも8連敗を喫し最下位が決定的となった。9月にも9連敗を喫したところで9月24日に土井監督は休養、残り試合は山根俊英投手コーチが指揮を執った。投手陣はベテラン平松政次と野村収が勝ち星1桁に終わったほか、先発・抑えの両方で活躍した斉藤明夫がリーグ最多敗を記録するなどチーム防御率4.41はリーグ最下位。打撃陣は山下の.278が最高でそれ以上の打率をあげた打者はおらず、チーム本塁打・チーム打率ともにリーグ最下位。この年は野球用具盗難、監督休養、優勝した巨人に4勝20敗2分と大きく負け越し、5位の中日に15ゲーム以上も離され、セリーグ6球団で唯一の二桁勝利投手ゼロなどさんざんな1年となった。カード別成績では巨人を含め上位3チームにわずか17勝しかあげられず、中日に14勝12敗と勝ち越すのがやっとだった。この頃から「横浜大洋銀行」の蔑称が使われるようになる。 開幕オーダー1右屋鋪要 1981年セントラル・リーグ順位変動順位4月終了時5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時最終成績 1981年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝敗分勝率差 [1] 横浜大洋ホエールズ 1981
概要
チーム成績
レギュラーシーズン
2二基満男
3一ラコック
4三田代富雄
5左長崎慶一
6中ピータース
7遊山下大輔
8捕辻恭彦
9投斎藤明雄
1位中日--巨人--巨人--巨人--巨人--巨人--
2位巨人1.5中日6.0ヤクルト7.5阪神9.0ヤクルト9.0広島6.0
3位広島6.0広島6.5阪神8.5ヤクルト12.0阪神11.5阪神8.0
4位ヤクルト8.0ヤクルト9.0広島9.0中日12.5広島12.5ヤクルト13.5
5位阪神8.0阪神10.0中日10.0広島12.5中日13.5中日16.0
6位大洋9.5大洋13.5大洋大洋17.0大洋22.5大洋31.5
1位読売ジャイアンツ73489.603優勝
2位広島東洋カープ67549.5546.0
3位阪神タイガース67585.5368.0
4位ヤクルトスワローズ565816.49113.5
5位中日ドラゴンズ58657.47216.0
6位横浜大洋ホエールズ
オールスターゲーム1981詳細は「1981年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
監督推薦
斎藤明雄福嶋久晃山下大輔
できごと
9月24日 - 土井淳監督休養。山根俊英コーチが監督代行。
選手・スタッフ
監督
80 土井淳(9月24日まで)
59 山根俊英(代行。9月25日以降)
一軍コーチ
59 山根俊英(投手)(9月25日以降監督代行)
70 池田英俊(投手)
91 江尻亮(打撃)
77 土屋弘光(守備走塁)
78 松岡功祐(ベース)
二軍監督・コーチ
72 須藤豊(監督)
60 稲川誠(投手)
84 小谷正勝(投手)
82 沖山光利(打撃)
74 米田慶三郎(守備)