1981年の日本シリーズ
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1981年の日本シリーズ
ゲームデータ
日本一
読売ジャイアンツ
8年ぶり16回目
4勝2敗
試合日程1981年10月17日-10月25日
最高殊勲選手西本聖
敢闘賞選手井上弘昭
チームデータ
読売ジャイアンツ()
監督藤田元司
シーズン成績73勝48敗9分(シーズン1位) 
日本ハムファイターズ()
監督大沢啓二
シーズン成績68勝54敗8分(後期1位・PO優勝)
パリーグプレーオフ
1981年のパシフィック・リーグプレーオフ
日本シリーズ ≪ 1980 1982 ≫
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1981年の日本シリーズ(1981ねんのにっぽんシリーズ、1981ねんのにほんシリーズ)は、1981年10月17日から10月25日まで行われたセントラル・リーグ(セ・リーグ)優勝チームの読売ジャイアンツ(巨人)とパシフィック・リーグ(パ・リーグ)優勝チームの日本ハムファイターズによる第32回プロ野球日本選手権シリーズである。
概要

就任1年目の藤田元司監督が率いる巨人と、就任6年目で初の優勝を果たした大沢啓二監督の日本ハム[1]とが初めて対戦した日本シリーズである。この年は両チームとも後楽園球場を本拠地としていた[2]ため、後楽園シリーズと称された。「西暦の奇数年は第1・2・6・7戦をパ・リーグ、第3?5戦をセ・リーグの主管で開催する」という規定に基づき、第1・2・6戦(行われていた場合は第7戦も)は日本ハム、第3?5戦は巨人の主管で開催された。全試合が同一の野球場で開催された唯一の日本シリーズとなる[3][4]2004年に日本ハムが北海道(このときは札幌ドーム)へ本拠地を移したことにより複数のチームが同一の野球場を本拠地とする状態が解消されたため、同年以降は何らかの事情により日本シリーズ出場チームがホームゲーム扱いの試合の全てを自チームの本拠地でない野球場で開催しない限り、このような日本シリーズが発生する可能性はなくなった。
試合結果

1981年 日本シリーズ日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月17日(土)第1戦読売ジャイアンツ5 - 6日本ハムファイターズ後楽園球場
10月18日(日)第2戦読売ジャイアンツ2 - 1日本ハムファイターズ
10月19日(月)休養日
10月20日(火)第3戦日本ハムファイターズ3 - 2読売ジャイアンツ後楽園球場
10月21日(水)第4戦日本ハムファイターズ2 - 8読売ジャイアンツ
10月22日(木)第5戦雨天中止
10月23日(金)日本ハムファイターズ0 - 9読売ジャイアンツ
10月24日(土)休養日
10月25日(日)第6戦読売ジャイアンツ6 - 3日本ハムファイターズ後楽園球場
優勝:読売ジャイアンツ(8年ぶり16回目)

第1戦


10月17日:後楽園(試合開始:13時、入場者:36,056人)  123456789
RHE
読売ジャイアンツ0000001315111
日本ハムファイターズ101101011x6122

:工藤(1勝)  :角(1敗)  

本塁打
[巨]:松原1号ソロ(9回・江夏)
[日]:ソレイタ1号ソロ(1回・江川)、柏原1号ソロ(4回・江川)、岡持1号ソロ(8回・加藤)

審判
[球審]前川
[塁審]岡田和(一)、岡田哲(二)、福井(三)
[外審]藤本(左)、谷村(右)

試合時間:3時間1分

日本ハムのホームゲームとして行われた第1戦。巨人の先発は江川卓、日本ハムの先発は巨人時代シリーズ男として鳴らしたベテラン高橋一三。初回、いきなりトニー・ソレイタの左方向への本塁打で日本ハムが先制。3回高代延博の犠飛、4回柏原純一の本塁打、6回菅野光夫の適時打と小刻みに点を重ねた。一方の巨人は負けじと7回、江川の代打・平田薫、1番の松本匡史の連続適時2塁打で1点を返し、8回1死から登板のリリーフエース江夏豊を投入。しかしその江夏から9番の平田、1番松本匡で同点に追いついた。日本ハムは、その裏、岡持和彦の本塁打で勝ち越したが、9回、江夏が3番に入っていた加藤初の代打、松原誠に同点本塁打を浴び、途中降板。だが、その裏から登板した巨人のリリーフエース・角三男に対し、代打・井上弘昭の左前適時打で日本ハムがサヨナラ勝ち。両チームともリリーフエースが崩れる波乱の幕開けとなった。

公式記録関係(日本野球機構ページ)


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