1981年の南海ホークス
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1981年の南海ホークス
成績
パシフィック・リーグ5位
年間5位:53勝65敗12分 勝率.449
後期6位:24勝33敗8分 勝率.421
前期5位:29勝32敗4分 勝率.475
本拠地
都市
大阪府大阪市
球場大阪球場

球団組織
オーナー川勝傳
経営母体南海電気鉄道
監督ドン・ブレイザー
≪ 19801982 ≫

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1981年の南海ホークス(1981ねんのなんかいホークス)では、1981年の南海ホークスにおける動向をまとめる。

このシーズンの南海ホークスは、ドン・ブレイザー監督の1年目のシーズンである。
概要

広瀬叔功前監督の辞任を受け、1980年の途中まで阪神の監督だったブレイザーが野村克也元監督の解任以来4年ぶりにチームに復帰。さらに打撃コーチに前巨人コーチの与那嶺要、大リーグからバーニー・シュルツ投手コーチを招聘し、首脳陣を外国人で固めた。前年に使用して最下位の原因となった縦縞ユニフォームや赤ツバ帽子の廃止など、1978年の最下位転落以来低迷するチームの立て直しを図るが、ブレイザー監督の「考える野球」は他球団に研究されるなど苦戦が続いた。前期は門田博光名取和彦とのトレードで西武から移籍したジム・タイロンがチームを引っ張り、前期は5位ながらも借金3で終了。後期以降の勝率5割に期待がかかったが、近鉄の復調で最下位に転落。結局ブレイザー監督1年目は53勝65敗12分の5位に終わったが、借金が前年の29から12と大きく減り翌年に期待を持たせる結果となった。投手陣ではこの年入団の山内和宏山内孝徳に加え、エースの山内新一も含めて「山内トリオ」を形成(背番号も3人で合わせている)し防御率こそ4.37で最下位だったものの、前年の5点台後半からはやや改善された。山内和・山内孝はこの年以降エースとして活躍し、弱い時代の南海を支えることになる。対戦成績は優勝の日本ハムに4勝18敗4分と相性が悪く、特に後期は同一カード9連敗を喫し日本ハム優勝のアシスト役になってしまった。
チーム成績
レギュラーシーズン

開幕オーダー1三藤原満
2中久保寺雄二
3左メイ
4右タイロン
5指門田博光
6一小田義人
7遊定岡智秋
8二河埜敬幸
9捕黒田正宏
投手山内新一
1981年パシフィック・リーグ順位変動

前期順位4月終了時5月終了時前期成績
1位ロッテ--阪急--ロッテ--
2位西武1.5ロッテ0.5西武2.0
3位阪急2.5西武1.5阪急3.5
4位日本ハム5.0日本ハム4.0日本ハム4.5
5位南海5.5南海5.0南海6.0
6位近鉄6.5近鉄9.5近鉄11.0

後期順位7月終了時8月終了時後期成績
1位日本ハム--日本ハム--日本ハム--
2位ロッテ0.5阪急1.0阪急3.0
3位西武1.5ロッテ2.5ロッテ8.5
4位阪急3.0西武3.5近鉄9.5
5位南海5.0南海6.5西武9.5
6位近鉄近鉄7.5南海11.5

前期最終成績順位球団勝率
1位ロッテオリオンズ35264.574優勝
2位西武ライオンズ33284.5412.0
3位阪急ブレーブス32303.5163.5
4位日本ハムファイターズ31313.5004.5
5位南海ホークス29324.4756.0
6位近鉄バファローズ25382.39711.0

後期最終成績順位球団勝率
1位日本ハムファイターズ37235.617優勝
2位阪急ブレーブス36281.5633.0
3位ロッテオリオンズ28316.4758.5
4位近鉄バファローズ29342.4609.5
5位西武ライオンズ28334.4599.5
6位南海ホークス24338.42111.5


1981年パシフィック・リーグ最終成績順位球団勝率
1位日本ハムファイターズ68548.557優勝
2位阪急ブレーブス68584.5402.0
3位ロッテオリオンズ635710.5254.0


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