1981年のル・マン24時間レース
前年:1980翌年:1982
1981年のコース
1981年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1981 )は、49回目[1]のル・マン24時間レースとして、1981年6月13日から6月14日にかけてフランス、ル・マンのサルト・サーキットで行われた。 1982年からの新規定導入前の最後の年であり、先取りでグループ6の3リットル以上のマシンの出走が認められた[2]。 ワークスポルシェは936[3]にインディ500用2,649ccから予選ブースト600馬力以上[3]を発揮する935/76型[3]エンジンを搭載したポルシェ・936/81を開発[3]した。またユルゲン・バルト(Jurgen Barth
概要
これに対抗するロンドーもフォード・コスワース・DFVエンジンを3.3リットルに拡大したDFLエンジンを搭載した[2]。
1980年のル・マン24時間レースを欠場して継続的に参戦する体制を模索していた[4]東洋工業(現マツダ)は充分なノウハウを持つ外国人とチームを組むことにした[5]。大橋孝至が組む候補として考えたのは当時マツダ・RX-7でイギリスサルーンカーレースを戦っており1979年に知人となっていたトム・ウォーキンショーと、地元フランスの英雄ジャン・ロンドーであった[5]。大橋は1980年サルーンカーレースを見に行った際に一緒にル・マンを戦う旨トム・ウォーキンショーに提案したが、トム・ウォーキンショーは体勢が整っていないため「興味がない」と断った[5]。しかしその後も大橋は誘い続け、1981年初めにトム・ウォーキンショーは同意した[5]。大橋はJUNをスポンサーとして獲得し[5]、マツダ・RX-7・253で前回と同様IMSA-GTOクラスから出場、ドライバーは生沢徹/トム・ウォーキンショー/ピーター・ラベット組[5][4]が37号車[5]、寺田陽次郎/鮒子田寛/ウィン・パーシー組[5][4]が38号車[5]をドライブした。