1980年モスクワオリンピック
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

この採決は挙手によるもので、伊東正義官房長官(当時)も出席しており、各競技団体の代表者には参加に投票した場合には予算を分配しないなどの圧力がかけられていたことが明らかになっている[1][4]

1980年6月11日 - JOC常任委員会がモスクワ五輪日本選手団(幻のメンバー)、同時に大会への不参加を承認する。

IOCの動向

このボイコット問題は、IOCの責任能力ならびに統率力の限界を露呈させた。当時IOCのマイケル・モリス会長はこのボイコット問題に関して、「この問題に対してIOCはコメントする立場にない。よって、IOCは一切関わらず、責任は負わない」として関与を拒絶した。しかも建前上は各国の意志の尊重を掲げていたため、IOC及びモリス会長に批判が集中した。IOCがこのボイコット問題に関して言及したのは、この時が唯一であり、これ以降は2023年現在に至るまで一切声明を発していない。
前後のボイコットとの関連  1976年モントリオールオリンピックをボイコットした国  1980年モスクワオリンピックをボイコットした国  1984年ロサンゼルスオリンピックをボイコットした国  上記3大会とも出場した国。

モスクワオリンピックへのボイコットを呼びかけ、中心的存在であったアメリカが開催する予定になっていた、次(1984年)の夏季オリンピックであるロサンゼルスオリンピックには、アメリカ軍グレナダ侵攻を理由に多くの東側諸国が報復としてボイコットした。中でも、イランはモスクワオリンピックとロサンゼルスオリンピックを両方ともボイコットしている。

なお、前回のモントリオールオリンピックでは、南アフリカ共和国アパルトヘイト政策に絡みアフリカ諸国の多くがボイコットをしたが、今回の五輪では主にイスラム圏を除いたアフリカ諸国が復帰した。

一方で、モスクワオリンピックをボイコットした韓国で次々回1988年に開催されたソウルオリンピックには、中華人民共和国をはじめほとんどのアフリカ諸国もソ連をはじめとする東側諸国北朝鮮キューバを除く)も参加し、大規模なボイコット合戦にようやく終止符が打たれた。
実施競技

陸上競技

水泳

競泳

飛込

水球


サッカー

ボート

ホッケー

ボクシング

バレーボール

体操

バスケットボール


レスリング

セーリング

ウエイトリフティング

ハンドボール

自転車競技

馬術

フェンシング

柔道

射撃

近代五種

カヌー

アーチェリー

大会の結果開会式に入場する東ドイツ代表チーム。
この開会式は、ソ連のアフガン侵攻に抗議して各国の旗が自国のものを掲げずバラバラになっていた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:95 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef