1980年モスクワオリンピック
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モスクワオリンピックへのボイコットを呼びかけ、中心的存在であったアメリカが開催する予定になっていた、次(1984年)の夏季オリンピックであるロサンゼルスオリンピックには、アメリカ軍グレナダ侵攻を理由に多くの東側諸国が報復としてボイコットした。中でも、イランはモスクワオリンピックとロサンゼルスオリンピックを両方ともボイコットしている。

なお、前回のモントリオールオリンピックでは、南アフリカ共和国アパルトヘイト政策に絡みアフリカ諸国の多くがボイコットをしたが、今回の五輪では主にイスラム圏を除いたアフリカ諸国が復帰した。

一方で、モスクワオリンピックをボイコットした韓国で次々回1988年に開催されたソウルオリンピックには、中華人民共和国をはじめほとんどのアフリカ諸国もソ連をはじめとする東側諸国北朝鮮キューバを除く)も参加し、大規模なボイコット合戦にようやく終止符が打たれた。
実施競技

陸上競技

水泳

競泳

飛込

水球


サッカー

ボート

ホッケー

ボクシング

バレーボール

体操

バスケットボール


レスリング

セーリング

ウエイトリフティング

ハンドボール

自転車競技

馬術

フェンシング

柔道

射撃

近代五種

カヌー

アーチェリー

大会の結果開会式に入場する東ドイツ代表チーム。
この開会式は、ソ連のアフガン侵攻に抗議して各国の旗が自国のものを掲げずバラバラになっていた。モスクワオリンピックの銅メダル

西側諸国の多くがボイコットした事で、大会は東側諸国のメダルラッシュとなった。キューバを含めた東側諸国の経済協力機構であるコメコン加盟国全体では161個と、全204個の金メダルのうち79%を占めた。

特にソ連は自国開催の強みを最大限に発揮し、元来の得意種目の重量挙げや射撃に加え、アメリカが不参加の競泳や陸上、日本が不参加の男子体操やバレーボールで順調に金メダルを獲得した。金メダル80個は、1984年ロサンゼルスオリンピックでのアメリカの83個に次いで一つの大会での2番目の獲得記録となっている。

ソ連と同じく「ステート・アマ」が選手のほとんどを占める東ドイツもボートで14種目中11個の金メダルを稼ぎ、47個と第2位の金メダルを獲得した。

一方で、東側諸国に押され気味の西側諸国の中ではイギリスが陸上男子のトラック競技で健闘し100mのウェルズ、800mのオヴェット、1500mのコーと3つの金メダルを獲得している。
主な競技会場

・現在のウクライナ、モルドバ、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージア、ベラルーシ、エストニア、ロシア、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、ラトビア、リトアニアに競技場が置かれた。

グランド・アリーナ

マイナー・アリーナ

オリニピック・プール

スポーツパレス

ドルジバ・マルチプロセス・アリーナ

オリンピック・スタジアム (モスクワ)

CSKAモスクワ

ディナモ・スタジアム (モスクワ)


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